願うことを
められなかった


子供というのはこんなにまっすぐな瞳を持っていただろうか。
とりあえず自分の幼い頃は違うな、と雑に思い返して浅はかな過去の美化を一蹴した。

たまたま立ち寄ったのは小さな村、と言って良いのかわからないほどほんの数人しか住んでおらず
それでいて家の数だけは村と呼ぶに相当する場所。
そこで出会ったのは言葉を覚えて生意気になってきた年頃の男の子だった。
変に思い入れるなと普段から小太郎に釘を刺されているから、少年の名前を聞くことはしなかった。
そして私は出会ってすぐ、鬼ババがきた!と言われた瞬間から
このクソガキ基可愛らしい少年を坊主と呼ぶことに決めた。
時たまくそなんていう汚らしい形容詞がつくが、ご愛嬌だ。

その村は村人こそ少ないが貯蓄はあったらしく、ずいぶん手厚く迎えてくれた。
負け戦だとわかっているのに大変だなぁ、とくそ坊主は一丁前に心配してくれた。
おそらくは覚えたてであろう負け戦、という言葉を使いたかっただけだろうが。


基本的に私たちはどこかの村に長期間滞在することはない。
天人に場所が割れてその村が襲われたり、村人を人質にされては命の保証ができないからだ。
大抵の村はそそくさと食糧と少しの武器を出してきては、そっけない態度ではやく私たちが去るのを待つものだ。
誰だって命を危険にさらしたくはないだろう。

それだというのに、おかしな村だ。
たくさんおいしいご飯を振舞ってくれて、あたたかい寝床を用意し、ゆっくりしていきなさいと言ってくれる。


「天人側だったらどうすんだ」


そう言ったのは誰だったか。名前も知らない一志士だった。
ほとんどの村はそっけなく、早く去ることを願うものだ。
だからこの村はおかしい、そういうやつがでてくるのも無理はないほど、実に手厚い歓迎だ。
天人の手の上でぷくぷく肥やされてる気になるのも無理はない。


「しかしそれならとうの昔にやられているだろう」


と、小太郎。私はどちらかといえば小太郎の意見に似ていた。
もうこの村にきて何日も経つ、機会はいくらでもあった。
普通天人に脅かされている村というのは、到着初日の、私たちが疲れている時を狙うのだ。


「村の人たちをみればわかるだろう、歓迎してくれている」
「負け戦だってのに攘夷志士を歓迎するかね」


負け戦、数日前に坊主が零した言葉だったか、と思いを馳せた。
小太郎とその他志士達との話し合いとも言えぬ、言い合いをBGMにして。




子供というのはこんなに残酷だったろうか。
とりあえず自分の幼い頃は違うな、これは数々の悪戯を可愛いモノだと美化した上での思いだ。


「鬼ババがおねーさんになった…!」
「褒めてんのかけなしてんのかわからないなあ坊主」


風呂、なんて立派なものではないが、体の汚れを落としてさっぱりした姿で少年にであった。
出会い頭にそのセリフはないだろうと思ったが、素直でいいか、と受け入れてしまえた。
わしわしと自分よりずいぶん低い位置にある頭を撫ぜた。
あと何年で、少年は私の背を抜くのだろう、あと何年で私よりガタイが良くなって、
あと何年でその目からは輝きが失われてしまうのだろう。
照れ臭そうに、それでも頭を撫ぜる手を受け入れていた少年はまっすぐな目を私に向けた。あぁ眩しいこと。


「おねーさんは、なにを守るの?」
「…守る?」


はて戦とはなにかを守るものだったろうか、と思考を巡らせてすぐ答えにたどり着いた。
それと同時に少年は、銀さんが「戦ってーのは守るためにやるもんだ」って言ってたんだ、
とまっすぐな瞳をさらにきらめかせて教えてくれた。
そうだね、銀時はそういうやつだ。


「私はそんな立派なもんじゃないよ」


焼けるように煌めくまぶしい視線から逃れるように少年の頭をまたぽんぽんと撫ぜた。
なんとなく不満そうな面持ちだったが少年なりに気を遣ったのか
それ以上問いかけることはなく、おやすみ!と駆けていった。


「守る、か」


ぽつりと零した言葉は誰に届くこともなく、音もなく消えた。



夜が更けると、高台にのぼって見張り番と天体観測をする。
夜目がきく私は決まってここが寝床だ。寝転んで雲交じりの夜空を見上げた。
そうしてぼんやり少年の言葉を思い出しながら適当に星をつなぎ始めた。


守ろうとして守れたものも、そんなこと思わずに只管剣を振り回して得たものも
両の手で足りるほど少ないのだろう。
そして決して指折り数えられるような、具体的なものじゃない。
守った命の数より圧倒的に奪ったそれの方が多い、多すぎて数える意味をもたないほどだ。
自分のど真ん中をぶち抜く芯だって、私のは結構柔軟性がある。
どんな屁理屈にも対応するハイスペックな芯だ。要は無いに等しい。
国を守るとかそういうのも最早意味がないだろう、なんてったって負け戦だ。
仲間を守る?誰がいついなくなって、新しく入ったのかもあやふやなのに?


守るなんてたいそうな言葉は私には似合わないんだと思う。そう結論づけたところで体を起こす。
ぼうっと遥か遠くに目をやると、あぁもうこの生活も終わりだ、煙が上がっているのがほっそりとだが確かに見えた。
今夜あそこにいるなら明後日の夜までにはここへもたどり着くだろう。
カンカンと音を立てながら高台付きの階段を降りる。お別れ、か。


「――小太郎、」


村長の部屋でこの辺りの地理や天人の情報を聞いていた小太郎に、親指を外にくいっと向ける仕草をした。
そうか、とだけ言った彼は村長に別れと礼を言い始めたので、私はそっと村長の家をでた。


「さすがに、きたか」
「…銀時」
「なんだよ、あのガキに泣きつかれても知らねェぞ」


ヅラの忠告を聞かねェお前が悪ィ。
向かいの家の屋根で寝転がっていたのだろう銀時は、ひょいっとそこからとびおりた。

別にあの少年に特別思い入れがあるわけではない。そう言ったら嘘になるだろうか。


「あの坊主は私を鬼ババ呼ばわりしたことなんて、もう忘れてるんだろうな」
「だろうな。すっかり手懐けやがって」
「…さっきから言葉の節々が刺々しい」
「気のせいだろ」


なんだこの男。
あ、もしかしてヤキモチ?
そう言ってみたら、突然むせたかと思えば焦ってるのがバレバレなほど上擦った声で言葉を紡ぐこと紡ぐこと。


「ばッ、ちげーよ、おまっ、なに言っちゃってんの?は?」
「…落ち着け青年」


銀時はわかりやすいんだかそうじゃないんだか。
しばらくからかっていると、袖をひっぱられたのに気づいた。
あらかじめ視線を低くして見ると、眉根を思う存分寄せた少年がいた。もっとわかりやすいのがいたか。


「明日、行っちゃうんだって、ヅラのにーちゃんが」


その呼び方は実に誤解を招きそうだったけど、誤解して困ることはなにもない。
もうここで、お別れなのだから。

ぽんぽんと柔らかい黒髪を撫ぜる。この数日で何度もした。
いままでで一番顔が見えなくて、それでもきっと、今までで一番嬉しくない顔をしてるのだろうと思った。
今日は遅いからもうおやすみ、と背中をとんと押すと
目元をゴシゴシとこすりながら家へと帰って行った。困ったもんだ。


「子供は素直だ、真っ直ぐで純粋で、まぶしい」
「だから一番タチが悪ィんだよ」


俺ァ知らねェぞー、とのんきにひらひらと手を振って、彼も寝床へ戻った。
私ものろのろと高台へ戻った。




翌日は気持ち悪いほど目覚めが良かった。ばっちり目が覚めた。
最後の夜はあっさり終わる、きっと別れもあっさり終わる、はずだ。そうしなきゃいけない。

大した身支度もないから、すぐに去る準備ができた。
村の人たちも昼までには違う場所へ身を潜められそうだという。


「育った村を置いていくのは辛い決断だったと思います」
「なぁに、この子達の将来の方が大事じゃ」


この数日、実にいい時間を過ごせたよ、ありがとうね。
村長は子供達を見回してからやわらかい笑みを浮かべてそう言った。
小太郎がこちらこそ云々と挨拶していると、向こうの方から少年が駆けてきた。
勢いは弱めずにそのまま私に激突して止まった彼の手には、何かが握り締められていた。


「っ、これ!」
「…なに、くれるの?」


腹にパンチを喰らわす勢いで突き出してきた手の中をみると、きれいな首飾りだった。


「おれが、いつかあんたに会えた時、わかるようにッ、」


涙ながらに、嗚咽を零しながら差し出す手のなんと愛おしいことか。流す涙のなんと輝くことか。
ぽんぽん、最後だなと思いながら柔い黒髪をぐしゃりと撫ぜた。


「少年、それは受け取れない」
「なっ!っ、なんで…」


さすがに村長の前で坊主はないかと呼び名を変えた。いよいよ別れらしくなってきた。
少年もそんな雰囲気を感じ取ったみたいで、尋ねようとしたらしい言葉はしりすぼみで消えて行った。


「君が大きくなって、わたしを探しにでたとしよう。その時にはわたしはもう、本当に鬼ババかもしれないよ」


ちょっとした仕返しのつもりだった。鬼ババと言われたことへの。
大人気ねェとでも言いたげなため息が聞こえたが無視だ、無視。

少年は泣き止むと、ぐっと拳を握りしめていた。おいおい壊れちゃうよ。
手の中の綺麗なものを心配していると、またしても腹パンチの要領で手が突き出された。デジャブ。


「じゃあ、これ、覚えて」


絶対忘れないで。
目にたっぷり涙を浮かべて、坊主から少年へ、そして青年へ育つだろう彼は笑ってみせたのだ。
一瞬面食らいながらも、しっかり首飾りを見つめて頭に刻み込んだ。綺麗な記憶が増えた。


「――、もう行くぞ」
「うん。少年、覚えたよ。いい男になってね」


ふと思いついて、一言つけたすことにした。
少年にだけ聞こえるように、彼の耳に手を当てて、ひそひそ話をするみたいに。
目をまん丸にしてぱちぱちと瞬きをした少年に、じゃあね、と手を振った。
先をゆく頼りになる背中を追いかける。別れの声が聞こえたが、振り返らなかった。





「――で、お前あのときなに言ったの」
「あのとき?」
「あの坊主に。別れ際、なんか言ってたろ」


その日の夜、寝床を確保して皆が眠りについた頃。
近くの丘にのぼって銀時と夜空を見上げていた。


「そんなに気になる?やっぱりヤキモチ?」
「調子にのんなよ…?」
「ひー怖い怖い。なに言ったかって、そりゃ、秘密でしょう」


んだよつまんねェの、
青筋を立てたりため息を吐いたり忙しい男だ。
つい、くすりと笑ってしまった。聞こえたらしく、
あァ?と喧嘩を売られた気分になった。


「覚えてないんだろうなぁ、銀時」
「なにをだよ」
「小さい頃、あの少年みたいなことしてくれたの」
「……俺が?」
「銀時が」


そんなことあったか?とブツブツ言い出した銀時を放って、一人物思いに耽った。


昔は良く、先生の塾の近くの川で水切りをして遊んだものだ。
それがかなり浅い川で、みんないつの間にか自分の石が決まっていた。
拾っては投げ、拾っては投げる。当時はとても楽しかったのだ、自分の石なんて先生の本の次に大切なほどだったろうか。
それがある日、銀時が片手にぎゅうっと彼の石を握りしめたまま、その手を突き出してきた。
手を出せと言われて出すと、至極名残惜しそうに、わたしの手のひらに石が落とされた。

それは少年のように、覚えてて欲しいから、なんて理由じゃなかった。
確かその日、私が年上の男の子と喧嘩で負けて、悔しくて泣いてたんだっけか。



「――手のひらに乗った石を見て、かちっとはまった音がしたんだ」
「石が?なにに?」
「…ばーか」
「はァ?なんだよ、今の流れ的に絶対石が何かにはまったんだろ!」


ふふ、と笑ってもう一度小さく、ばーかと言った。
なにかがはまったような音。それがなんなのか今ならなんとなくわかる。
きっと時が経てばもっとわかるようになるのだろう。


手のひらに落とされた石が宝石みたいに輝いて見えたわけじゃない。
ただの石ころだった。それでもあの時の私には宝物だった。
かちっと、銀時との歯車がうまくかみあった瞬間だった気がする。大きな大きな歯車だ。
私はきっと、ずっとこの人の隣に立つんだろう、それを望むんだろう、と。今ならはっきりわかるよ。


――少年、君はあの銀髪をよく覚えておくといい


わたしはこの先もずっと銀時の隣に、そばにいるだろうから。

彼がいつか、私にとっての銀時のような、そんな子に会えるように。
大きな歯車が、誰かのそれと一緒に周り始めるように。