願うことはかなものばかり


幼い頃に見た夢も当時は相当の衝撃を受けたものだってある。そんな気がする。
それなのに今となって思い出せるものはひとつとしてない。
生まれてくる前に思っていたことや見たものも確かにあったはずで
ある程度は覚えていたはずなのに、言葉を覚えるたびに忘れていってしまったのだろうか。

先生が教えてくれたことのすべてを思い出そうだとか、記憶にとどめようだとか
そんな必死さが無駄になるのも当たり前だと、こう考えていけば素直にうなずける。
だけどまァ、忘れたくないとは、やっぱり思うわけで。


「銀時、」
「なに」
「明日の、昼、だって」
「あ、そ」


皆の顔から笑顔が消えていった日々のことは思い出せる。思い出したくもないことだ。
口数が少なくなったのも、手に触れられる温もりが消えていったのも、それはもう鮮明に思い出せる。
目の前で眠ったように見える銀時も、いつか消えてしまうのかと、なんど考えただろうか。
なんど考えたところで、無駄だと思ったところで、胸に残る不安は消えやしないのに。



明日の、昼だ。
小太郎がそう告げた。ひどく悲しい声だった、皆は気づいてはいないだろうけれど。
みんな、止めたって、聞いてはくれなかった。
終いには、ここまで一緒に戦ってきたというのに、女は黙ってろとまで言われた。慣れたことだけど。

すっかり敗戦の気分に浸った仲間が、集団で天人に突っ込むと言って聞かなくなったのは、いつ、だったか。
初めて聞いたときは笑ってみせた。ばか言わないでと腹を抱えてもみた。
だが、いくらたっても一緒に笑おうとしない、笑いすぎだと怒ることさえしない仲間に
どれだけの汗と涙と労力を捨てただろう。止めても、怒っても、諭しても、泣いても、だめだった。


「銀時は、いかないの」
「あんなくだらねェことやってられっかよ」
「止めない、の」
「…お前ももう、わかったろ」


あいつらはもう、止められねェ。

終始目をつむったまま答えた銀時の言葉に、私は何も言えなくなった。
自分でも、うすうすわかってはいたと思う。
初めて彼らの顔を見て、目を見て、声を聞いて、固く握られた拳に触れて。
あァもう決めてしまったんだ、もう、戻ってこないんだ。
どこかでそう気づいた。そう、気づいてしまった自分が嫌になってかき消そうと、止めようと必死になって。
だけど、笑ってみたところで、目を背けたところで、日に日に彼らの灯は弱くなっていく。

そしてついに明日、彼らの命の灯は消えてしまうという。
止めてくれるな、にこりともせずにそう言う仲間にかける言葉などとうになくした。

この戦場でであった仲間もいたように思える。
盃さえ交わせば出会いも過ごした年月もどうでもよくなってしまうからあまり詳しくは覚えていない。
それでも、たしかに、共に過ごした今までは過去と呼ぶよりは思い出と呼ぶにふさわしい
温かい日々だったと、わたしは、思っていたのに。


「…なんでお前が泣くんだよ」
「っ、どうして…、」


言葉が、でない。
なんのために戦っているのか、なんのための今なのか。
へたりと銀時の前に座り込んで、あふれ出る涙を止めようと躍起になって。

交わした盃も、触れた手の温もりも、簡単に消えるものじゃない。
いい思い出だったと切り捨てるにはまだ、それは、優しすぎる。


「…ちょっとわかった気ィするわ」
「なに、」
「先生が昔、言ったこと」
「……?」
「小せェ頃、『は私には温かくて優しくて、少しまぶしいですね』って言ってたよ」


なんでそんなこと言ったのかとか、何の話をしてたのかも思い出せねェけど。
そう付け足すと、銀時は少しだけ口元を緩ませて笑った、ように見えた。

温かいのは、優しいのは、私じゃなくて。
あの頃の私には先生がすべてだったと言っても過言じゃない、だから、そんな言葉はあまりにも身に過ぎる。
今ならわかる、その言葉を聞いた今、温かいのも優しいのもまぶしいのも、私じゃなくて
突っ込んでいこうとする彼らの方がずっと、命に真っ直ぐに向き合っているように思える。

俯けばぽろぽろと滴がこぼれていって染みをつくる。
悔しい、悔しくて、寂しい。ぐちゃぐちゃになった気持ちが余計に涙を溢れさせて止まりそうになかった。


「泣けば、いいんじゃねェの」
「っ、泣いたって、何の解決にも、」
「ぐちゃぐちゃな気持ち押し殺して笑うよかずっとマシだろ」
「でもっ、」
「そんなもんはお前じゃなくなっちまうじゃねェか、お前が、お前を殺してどうする」


ぽんと頭に乗せられた重みが慣れたもので、どっと感情が溢れてしまった。
銀時が腕を引き寄せたのとほぼ同時に抱きついて、縋るように泣いた。
抱きしめたこの優しさが、匂いが、ぬくもりが、消えてしまうのがすごく悲しい。


でももし今、今だけでも、叶うのなら、願っていいのなら、縋っていいのなら。

肩を組んで笑った日々を、盃を飽きるほど交わした夜を、
互いの生存に涙を流したことを、消えていった仲間にも涙したことを、
雨のあとに架かった虹を、まぶしく射した陽を、どうか忘れないで。どうか忘れないでいて。


明日きっと仲間たちは、ようやく、こんな時になって初めて笑うと思うから。
だから今だけは、願うことを許して、祈ることを、思うことを、愚かだと優しく笑ってほしい。


「…わり、俺もちょっと、肩かりる」
「っ、う、ん」


明日は、笑って見送ろうね。
ぽつりと自分に言い聞かせるように呟くと、ぎゅうっと抱きしめる力が強くなった。
そんな、気がした。