忘れてはいけないこと
たとえば、不意に泣いてしまうことがある。
それには相手を困らせようだとか、落としてみせようだとか、そんな不純な理由があるわけではない。
ただ涙が止まらなかったり、哀しかったりつらかったり。
とにかく、今流れている涙もそれに相違ない。
「・・・・・・」
私が男でも吃驚する。
せっかく疲れた身体にむち打って、自分の部屋まで戻ってきたというのに
なんでいきなり自分じゃない誰かがいて、女で、泣いてるんだ。
そんな疑問が浮かんでも間違いじゃない、むしろ浮かばない方がおかしい。
ただ、不思議に思わない理由はそれなりにある。
とりあえず、自分の知り合いであると言うこと、そして泣く理由を知っていると言うこと。
私はこの部屋の主が帰ってきたのに気付いた。でももちろん、涙を止めるなんてできなくて。
せめてもの申し訳ないという気持ちで、絞り出せた声が呼んだのは、
この世でふたりといない、愛しい人の名。
「ぎん、とき・・・」
「・・・おーおー、こりゃまた豪勢に俺の部屋を荒らしてくれたな」
銀時にそう言われて、部屋を見渡すと、たしかに銀時の言うとおり、部屋は荒れに荒れていた。
障子や襖はやぶれまくり、畳はぼろぼろ、ただでさえ物の少ない部屋だというのに
捨てられたようにあちこちに散乱していた。
そこで我に帰れた、遅いとは自分でもわかっていたけれど。
ようやくとまった涙、がつたっていた頬を一生懸命拭いていると
銀時が大きなため息を吐きながら、私の隣に座った。
私が思わず首を傾げると、銀時はがしがしと自分の頭を掻いて、そして、
ふっと、太陽みたいな、そんな表現でも足りないくらいあったかい笑顔をうかべた。
ぽかん、と口を開けて驚く私を見て銀時は、ぽんぽんと私の頭に手を乗せた。
「久しぶりだな、」
お前が俺を頼るの。
そう言うと、本当に嬉しそうに笑った。
言われてみれば久しぶりかも知れない、そんな暢気に考えていると
頭に乗せられたぬくもりに、また涙がでそうになった。
また泣いたら迷惑だ、いい加減邪魔だ、銀時だって疲れてるのに、
そう思って必死に涙を堪えていたら、銀時はぎゅうっと私の頬をひっぱった。
あまりにもいきなりすぎて、しかも微妙に結構な痛みがあって、涙もひっこんだ。
「泣くくらい我慢すんな、頼れって言ってんだろ」
「・・・いひゃい、」
あまりにも嬉しすぎる言葉をもらったせいか、ひっぱられた頬の痛みのせいか、
ほんとは前者なんだけど、後者って事にして私は思いきり泣いた。
不意に思い切り腕をひっぱられる感覚に脳がついて行けなくて
一体何が起きたんだ、と考えているとぎゅっと抱きしめられる感覚、そして
頭の上にのせられた、さっきよりも幾分か重たい温もり。
「誰か、怪我したのか」
「・・・ううん」
「変な夢でも見たか」
「・・・ううん」
「・・・俺ァ、いつだっての傍にいる」
「・・・うん」
横向きに抱きしめられながら、頭の上に銀時の顔がのっかっているこの状況。
いつもなら恥ずかしくなって突き飛ばすくらいしているんだけど、今はそんな気力もない。
ただ温もりが恋しくて、ただ銀時が恋しくて、ゆっくりとその胸に体重を預けると、
回された腕の力がほんの少し強くなって、どうにもそれが嬉しくて、涙は止まらなかった。
だというのに。
「・・・・・・何をしてるんだ貴様らは」
ふと部屋に響いた聞き慣れた声に、二人して大袈裟にびくりと肩を揺らした。
声の方を見ると、見慣れた黒い長髪に見慣れた隻眼、見慣れた天パがにやにやとこちらを見ていた。
「銀時貴様・・・、どうにも早足で帰ったと思えば」
「てめェ・・・昼間ッから盛ってんじゃねェよ」
「無理もないのう、銀時はにベタ惚れやき!あっはっは!」
私が顔を真っ赤にするよりも早く、銀時はたちあがった。
もちろん抱きしめていた私を離して。
その一瞬の出来事はあまりにも優しくてあたたかくて、
どうしてこんなにも優しく私を離したのだろうか、と疑問に思うほどだった。
「テメェら・・・ここはそっと見なかったことにして引き返すとこじゃねェのか?あァ?」
「俺のが襲われそうになっているというのに、見なかったことになどできるか。」
「誰がてめェのだァ?は俺のもんだ。調子のんなよヅラァ」
「ヅラでも晋助のもんでもないき!はわしのもんじゃ!・・・あっいや間違えた、みんなのもんじゃ!」
小太郎と晋助はもうどうしようもないと目を瞑ったけれど、
辰馬までそんなことを言うの?という思いをこめた目で辰馬を睨む、いや見つめると
さっきまでのにやにやはどこへいったのか、ひくりと引き攣った笑いを浮かべて訂正した。
「いいから!もうおめーら頼むから出てってくれ。」
「き、貴様・・・!まさか昼間からに手を出すとは・・・!」
「見損なったぜ銀時」
「それでこそ金時じゃ!みんなにもゆうておく!」
「・・・てめェは一回星にでもなってこい!」
銀時が息を荒げながら3人を閉め出すと、部屋には再び静寂が訪れた。
あまりにも疲れた様子でため息をつく銀時を見て、思わず笑ってしまった。
「なーに笑ってんだおめェは」
「なんとなく」
おつかれさま、そう言って笑うと、銀時は一瞬驚いたような顔をした。
それに首を傾げる前に、疑問を呟く前に、銀時は思い切り私を抱きしめた。
痛いよ、
そう言う私の声も聞かずに、ぎゅうっと抱きしめてくれる存在があることが、今はただ嬉しかった。
「んなに無防備な笑顔で笑ってっから、あんな馬鹿が集まっちまうんだろ」
「・・・んー、でも銀時がいるから」
「・・・それ、最高の殺し文句な」
たとえば、不意に笑ってしまうことがある。
それには相手を喜ばせようだとか、落としてみせようだとか、大層な理由があるわけではない。
ただ愛しかったり、嬉しくなって喜んだり。
とにかく、今零れる笑顔もそれに相違ない、のだ。