全ての始まりは血生臭い戦場から


ゲホッ、と咳き込みながら、口の中に広がっていた血を吐き出した。
けれど相変わらず血の味は消えないままで、痛む横腹を押さえながら歩いた。
自分が通ってきたところには、斬られた横腹から、銃で撃たれた左足から流れる血で道ができていた。
これでは敵に自分への道を教えるようなものだとはわかっていたが、
最早それをどうにかしようという気持ちすらなくなっていた。
おおきく斬られたのは確かに横腹だけで、撃たれたのは確かに左足だけなのだが
あちこちにかすり傷があって痛みに襲われている。
意識は時々飛びそうになり、今自分が何をしているのかわからなくなる。

私は誰で、此処は何処だ。
そんな馬鹿みたいな問いが頭を駆けめぐっては、咳き込んで血を吐き出す。
杖のような役割を果たしている刀だけを頼り、ずりずりと足を引きずって歩く。
あたりには人も木も何も、誰もいなくて、ただ岩のような何かや、
燃やされたのであろう家があるだけだった。

すん、と鼻を鳴らして匂いをかぐと煙の匂いに交じって雨の匂いがした。
昔から嗅覚と視覚が優れていて、幼い頃に育ててくれたひとたちは
「戦うために生まれてきたのかねぇ・・・」
と哀しげな目で言った。
なぜだか泣いている人も居たような記憶があるが、詳しくは覚えていない。

幼い頃から既に父母も兄弟も、その存在の有無すらわからなかった。
物心ついた頃に教えられたのは、自分と血の繋がっている人は存在しないと言う事実だった。
その頃からなのかは不明だが、私は幼い頃から心というものが
いまいち完成していなかったように思える。
そしてそれは今も変わらず、私には最早心というものは存在しないのではないかと思うときもあった。

もしかしたらもうずっと昔から天人を斬り続けているせいかもしれないが、
何を斬ろうとも、なんの感情も生まれないことに気付いた。
そしてそんな自分を、何も思わない自分が居ると知った。
自分が気持ち悪いだとか、自分が怖いだとか、そんな感情すらわかなかった。
私はきっとずっと昔から、自分には一番興味がなかったのだろう。
自分の気持ちを知りたいとも思わないし、自分の得意なものがなんなのか、
自分の好きなことは、嫌いなことはなんなのか、そんなことを知りたいと思ったことは一度もない。
もっと言えば、今に至るまでそんなことを考えることすらなかったのだ。

今になって何故こんなことを考えるのかを考えてみた。
もしかしたらもうすぐ倒れるのかもしれない、と言う至極下らない結論に辿りついてしまった。
そんな自分を嘲笑うように、軽蔑するように、また血を吐き出した。


「あぁ、」


ため息と共にはき出された短い言葉は、もちろん自分のもので。
それにはなんの意味もなかったのだが、返事がもちろんないことを少しだけ寂しく思った。
周りには誰もいないのだと、改めて感じた。
もういっそのこと歩くのをやめてしまおう、そう思って音を立てて倒れた。
そもそもなんでこんなに歩いてきたのだろうか、こんなことを考え出したらきりがないのに
そもそもなんで私は戦っているのだろうか、なんて思って仰向けになり空を見上げた。

倒れて体力をそんなに使わなくなったせいか、乱れていた呼吸はだんだんテンポ良いものとなった。
落ち着いてもう一度、すぅ、と大きく息を吸い、あぁ、やっぱり、


「雨の匂いが、する」


神様ってのは私のことが嫌いらしい。
いや、そもそも神様ってのは居ないのかもしれない。
今まで一度も考えたことのない、神という存在に初めてふれてみて、
なぜだか本当にわからなかった、不思議で仕方なかった、
つー、と涙が零れていくのを感じた。

雨が、降り出した。
それは酷く優しくて、酷く静かだった。

今まで隣に誰かが居てくれたことは無かったから、だからそう言うのはわからないけど、
初めて誰かが隣にいることがどういう事なのか、知りたいと思った。

涙は零れても嗚咽は零さなかったが、自分が泣いているという事実に驚いた。
そしてどうしたらいいのかもわからず、涙を止めるという術も知らず
ただ手に握っている、杖代わりにしていた、今までずっと一緒に戦ってきた
大切な刀をぎゅっと強く握り締めた。
握り締めた手はそのままで、かすり傷だらけで血だらけで、痛む腕を持ち上げた。
刃をよくよく見れば刃こぼればかりで、申し訳ない気持ちになり
「ごめんね」と空へ向かってはき出して、痛む腕を降ろした。

刀が喋ってくれたらな、とガラにもなく思った。
今日は本当に自分の調子がおかしいと気付いたが、どうすることもできず
人が死ぬ瞬間って言うのは一体どんな感覚なのだろうかと考え出した。
死んだら、今こうやって考えている想いは何処へ消えるのだろうか。
気持ちは何処へいってしまうのだろうか、私はどうなるのだろうか。
死にゆくものを見るのはもう日常茶飯事のようになってしまっていたが、
当たり前ながら自分が死ぬと言うことは考えたことがなかった。
死んだら何処へ逝くの、だなんて子供みたいなことは言わないが
死んだらどうなるの、だなんて子供みたいなことを考える。

少しだけ眠気に襲われた。
寝たら死ぬであろう事は容易に想像できたが、死ぬと言うことに最早抵抗がなかった。
このまま目を開いて起きていたところで、誰かが来るかなんてことはわからないし、
その誰かは天人かもしれない。天人だったならば斬られて終わりだ。
ならば目を閉じて、一足先に永遠に眠ってしまえばいいのではないだろうか。
今までの私ならば考えもしなかったことを思い、くだらないと思う反面
それが一番楽だ、と思った。

生まれたときの記憶はもちろん無い。
物心ついたときにはすでに周りには誰もいなかった。
いや、誰もいないという表現は正確ではない。
私を育ててくれたひとたちは数人いたが、誰も血は繋がっていなかった。
そして私を育ててくれたひとたちが住む村は天人に滅ぼされ、
村の人が守っていた、伝説の刀だったか、代々受け継がれていた大切な刀だったかを手に取ると
驚くほど馴染んでそれを振り回した。

優れた嗅覚で相手の数、位置を確認し、視覚で相手の弱点を見破った。
次々と斬っていっても、何も思わない自分に気付いた。
けれどすぐに忘れた。
斬ることが楽しかったわけではない。けれどつまらなかった訳でもない。
ただ、目の前のものを斬る、と言う道筋に沿って歩いただけだった。

気付くと立っていたのは、天人数十名を討った、まだ年端もいかぬ少女だけだった。


記憶はめぐりめぐって、幼い頃からの自分をすべて思い返した私はついに目を閉じた。
そこからはもう、何も考えなかった。刀を握ったまま、ゆっくりとした呼吸で、ただ目を閉じていた。
すると朧気な記憶の中に、誰かの低い声が響いた。


「おーい」


刀を握る手に力を込めて、ゆっくりとした呼吸を整えてから目を開いた。
其処には想像したような、そう、天人ではなく人がひとり存在していただけだった。
考えていたのとは違う展開に驚いて目を見開くと、見上げた先の彼も目を見開いた。


「生きてたの?」


どこか気怠げなその声は心地よくて、眠気を誘われつつも
次は見上げた先の、ふわふわとした銀色に目を奪われた。
気付くとのぞき込むように私を見ていた彼は、私の隣にしゃがみ込んだ。


「あんた死ぬつもりだった?」


私を見下ろす彼の瞳には、今にも死にそうな女の顔が映し出されていた。
それが私だと気付くのにどれくらいかかっただろう。
彼の問いに答えることもなく、数分が過ぎた頃。
沈黙に耐えきれなくなったのか、彼はがしがしと頭を掻いて大きなため息をついた。


「死ぬつもりじゃねェならよ、手当してやっから背中乗れ」


そして、ん、とおぶるように私に背を向けた彼は、完全に私から目を離している。
私が刀を持っていることに気付いていないのだろうか、いや、否だ。
ならば完全に私を信じているのだろうか、その答えはわからぬままで、
結局私はあちこち痛む身体を無理矢理起こして、彼の背中に全体重を預けた。


「なぜ、」


掠れた私の声が、乾いた大地が広がる戦場に響いた。
彼は続きを待っているのか、何も言わなかった。
私はゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「私を助けようと思うのです?」


まるで世界が違うように静かな戦場には、私の声と、少しだけ乱れた呼吸音が響く。
彼は、あー、と先ほどとなんら変わらない気怠げな声を出して答えだした。だってあんたさ、


「死にたくねェんだろ?」


彼が紡いだ言葉に、どくりと心臓が跳ねたような気がした。
なぜそう思ったのかは、自分でもわからない。こんな思いは初めてだったからだ。
ただ、彼の言葉を最初から最後まで、一切否定しようとしない自分に気付いた。


「えぇ、そうみたいです」


生きたい、と言う思いとは少し違う。
死にたくない、そう思った。
温もりを与えてくれる彼の背中に縋り付いた。
つぅ、とまた涙が流れたような、そんな気がした。