くうはく

横に並んで歩いても、手と手が触れ合うほど近くにいても 呼吸も鼓動も感じられるほど距離がゼロでも 間には絶対的な空白がある。 子供の頃はあんなに簡単に言えたのに、と不思議に思いながら 口を閉ざしてしまうような台詞がたくさんある。 本当は言わなければならないそれもいくつかある。 ありがとうだとか、ごめんなさいだとか。 いってきますといってらっしゃいだとか。 そんな言葉がなにも思わずに口からこぼれてしまうのは それだけずっと一緒にいるってわけで、少し暖かく思える。 と、同時に、それよりもずっと、ずっとずっとさみしくも、思えてしまう。 言わなくても伝わるだろう、そう思ってしまう言葉が増えるのは寂しい。 "空気のような存在"になってしまうことが悲しい。 なくてはならないそれだとしても、いざなくならなければ その大切さなんて忘れてしまうものじゃないか。 ねぇ悲しいよ、寂しいよ。 内からそんな声が聞こえるけれど、口は開いてやらない。 そんな言葉を吐いて困らせたくない。 じゃあどうすりゃいいの、と、言われたってなにも答えられない。 ふと見上げた空には雲が溢れ、星が時々見える。 月はあるだろうかと探してみた、見つからない。 からんころん、わざと下駄の音を立てて、わざとゆっくりと歩く夜道は ひとりでふらつく夜は、どうにも寂しい。 それは、ぬくもりがあった過去があるからだ。 足りない、足りない、足りない。 星に願ったところで月に祈ったところで、満ちることはない。 もう、どうしようもないんだ。 押しつぶされてしまいそう、重たい気持ちのままやっと着いた。 がらがら建て付けの悪い戸を引いて、ただいまとひとりごとのようにこぼす。 「おかえり、と言いてェとこだが。 随分と遅い帰りじゃねェか、」 あぁ、たったこれだけで。 意地の悪そうな笑みに口元が緩んだ、重りは何処かへ消えた。 空白は少しだけ、こんなにも簡単に埋まってしまった、よ。