ひでェ雨だ、ガチガチに身を固めている甲冑を乱暴に外しながら銀時はため息をはいた。
出る時はこちらの気分が重くなるほどの曇天だったが、いよいよ降ってきたか。
オンボロの戸を閉めるとかなり雨の音は遮られたが、今度は中の声が聞こえてくる。
聞きたくもねェ泣き声喚き声、悲鳴。
がんがんに頭に鳴り響いて、雨のせいで上がっていた不快指数はいよいよ振り切った。
先に帰っていた桂を見つけて、びしょ濡れの甲冑を投げつけた。
桂は軽々しくそれをよけると、目を細めて視線をよこす。それだけだ。
なんの文句も言わないが、なんの労いもない。
そんなものはとうの昔に、言葉でもなくしたかのようにまるでなくなった。
「は」
「俺が知っていると思うのか」
いつもお前が一番そばにいるだろう。
それだけ言うと、ちらりとだけ冷たい目を見せて去っていった。
舌打ちをこぼしてみてもオンボロの小屋に響くだけでなんの救いにもなりゃしない。
ぐるりと見飽きたオンボロ小屋を見渡すもやはりの姿はない。
俺と同じくらいアイツは雨が嫌いだから、とっくに帰ってると思ったんだが。
桂はどこかへ行ってしまったし、周りには怪我の痛みに顔を歪める奴らや、
なんの悲しみかは知ったことじゃねェがすすり泣いている奴らで溢れている。
これじゃあのことなんて知っちゃいないだろう、知ってても話ができるとは思えない。
「ちょっくら、でてくるわ」
誰に言うでもなくぽつりとこぼして、銀時は帰ってきたばかりの小屋をあとにした。
やはり少し待ってからにするべきだったか。豪雨に打たれながら銀時は強く後悔していた。
まァここまで強く降ってくれりゃアこの煩わしい髪の毛もうねる暇すらなくていいだろうと自身に言い聞かせ、
だがやはり少しはいらつきながら銀時は視界の悪い中を歩き続けた。
この雨で分が悪いと思ったらしい天人は、俺のところではさっさと退散してくれたが
さてアイツのところではどうだったか。
が俺の腕に勝手に結んだ赤の鉢巻を見て同時にアイツがよくするしたり顔を思い浮かべた。
思わず口元が緩む。あァどこにいったんだ、あの表情が待ち遠しくなってあたりを見回した。
「くそッ、見えねェ、」
雨が目に入らないようにするので精一杯、人捜しなんてもってのほかと言わんばかりの豪雨。
どうしたものかと途方に暮れた、そのとき。
銀時の耳をつんざくかと思うほどの、叫びのような悲鳴のような、そんな声が聞こえた。
声のした方へと急ぐと、白い鉢巻を巻いてぼろぼろになりながらも甲冑を着けた、おそらく仲間がいる。
目を開けようにも、この雨では開けられない。近くに行くしかないかと、刀に手を添えながら走った。
「銀、銀時…!」
「お前…、たしかヅラのとこの、」
「俺のことは、いいんだ、あの人ッ、」
どこかで見覚えのある顔だった、刀から手を離すが様子がおかしい。
たしかにこいつ自身も傷だらけで、それこそ倒れても可笑しくないほどの出血量に見えたが
なにやら向こうの方を指さしている。そう遠くないところに、まだ誰かいるのか。
話を聞いている暇はなさそうだった、泣いているのか叫んでいるのかよくわからない声で
途切れ途切れに指さす方へ行けと伝えている。
「なんだってんだよ、」
手で笠を作りながらなんとか視界にとらえた影の方へ行くと、どこか、見慣れた姿。
数秒して、一気に血の気が引いていくのがわかった。
あの綺麗な漆黒で中途半端な長さの髪、甲冑を着けずに俺があげた白い鉢巻をつけている。、だ。
「、オイ、ッ!」
さっきまでうるさいほど聞こえていた仲間のわめき声は今はすごく遠くに感じる。
雨の音も不気味なほど聞こえなくなって、視界は驚くほど冴え渡って。
彼女の首と腹からあふれ出す赤だけがちかちかと俺の視覚を刺激した。
そっと手に触れるとまだ温もりがあって、かすかに動いた。
名前を呼び続けると固く閉ざされていたまぶたがほんの少し、ゆっくりと開いていく。
「お、い、、」
「ぎ、ん、とき、?」
今にも閉じてしまいそうな重たげなまぶた、小刻みに震える長い睫毛、青白く冷えた唇。
赤みを失った代わりに血を浴びた頬に触れると、ひやりと生きているとは思えない冷たさが全身を駆け巡った。
ただただ、名前を呼んだ。、、。止血を、しなければ。はやくつれて帰らないと。
そう思っても、の手に触れた俺の手は震えが止まないし、触れた先の温度は冷えていくばかりだ。
「なに、なんで、こんな」
「しくじって、ッふふ、」
「笑ってる、場合じゃ…」
「ぎん、こっち、みて」
だいじょぶ、小さくの口が動いた。何が、大丈夫。
笑ってる場合じゃねェのに、の口元はゆるゆるとつりあがっている。
俺の手から離れたの手がそっと頬に触れた、冷たいのかどうかもわからねェ。
ただ、綺麗な手だった。小さくて綺麗な、ただの女の手だった。
「だめ、だ」
「なにが」
「もう、だめ。ごめ、んね、」
「ッ、ざけんな、お前これつけて、言ったじゃねェか、生きて帰ったら、」
甘いものいっぱい食べようね。いっぱい二人ででかけようね。銀時のやりたいことはなに?わたしはね、
らしくもねェ思い出が走馬燈のように駆け巡って、俺はただ腕に結ばれた赤の鉢巻を握りしめた。
いつの間にやら涙が溢れたのか、それともただの雨か、が俺の目元をぬぐう。
いつものようにしたり顔で、だが少しひきつった変な顔で、また、口を動かす。だいじょぶ、と。
「ぎん、」
「もう、しゃべんな、頼むッ、頼むよ」
なんでお前なんだ、なんで、なんだ。
掴んだ細い手首は、だんだんと脈を遅く伝えるようになって、どんどん微かなものにさせた。
目の前で今、灯が燃えているのに、命がまだあるのに、どうしてお前はもうだめだと笑う。
視界が再び滲み始めた頃には、のまぶたはすっかり下ろされていた。
口元がもう一度動く、今度は大丈夫なんて気休めじゃアなかった。
代わりにこの女は、このずりィ女は、ぎんとき、なんて、言葉を吐いた。吐いて、静かに笑って。
「、っ、おい…」
どれほど目を見開いても、どれほど冷たい頬をあたためても、縋っても、灯は消えたらつかない。
叫んでも、わめいても泣いても、灯はつかない。
誰か、誰かここへきてくれ、はやくを助けてやってくれ。俺じゃアどうしようもできねェらしい。
誰かはやく、誰か誰か誰か、ここへきて、くれ、よ、
「――ッ俺の、せいだ」
がんがんに警鐘が鳴り響く頭に、遠くから声が聞こえた気分だ。
それでもしっかり内容は頭に入って、さっきの男だ、首元をひねりあげる。
嗚咽がまじって上手く話せない、自分でも何を言ってるかわからなかったが
それでも目の前の男には十分すぎるほど伝わったのか、彼も嗚咽を零しながら話す。
「この人ッ、俺が、っ俺を、ッかばって、」
「なんですぐに、他の奴らを呼ばなかったッ!」
「呼ぶなって、ッあんたが、銀時がくるからって…!」
その言葉が何度頭を巡った頃だろうか、ひねりあげていた手は力が入らなくなり、どさりと男が地面に臥した。
何度、何度巡らせただろうか。意味を理解するのに、状況を浮かべるのにひどく時間を要した。
が、俺を待って、俺が来ると信じて、助かったかも知れない命を、捨てた?
すっかり理解した頃には声にならない声がのどからあふれ出した。
地面に臥したままの男が耳をふさいで縮こまったのを見ても抑えられそうになくて
ひたすら地面を殴って、爪の間に土が入り込んで、そんなことさえ煩わしくて許せなくて。
本当は、頭の奥では、胸の内では、を見つけたその瞬間からもう手遅れだと、わかっていたとしても。
「、」
叫びすぎて掠れた声でそれでも絞り出した名は、その主は、もう戻ってこない。
二度とその声が響くことは、ない、
逝く君へ