出会った日の話をしようか。 「長い間雨が降ってる時のことでした」 今日のように、こんな燦燦と輝く太陽は長らく拝めていなかった。 「いつの間にか靴は失くして、ボロ雑巾のような布切れを身にまとっていました」 雨に打たれると体力を奪われるし、冷えて風邪でも引いたら死ぬだろうと思った。 何が私を死にたくないと、死ぬまいと動かせたのかはわからないけれど、それでも私は身を守る行動をとった。 橋の下で、土砂降りの雨を避けていた。 降り始めに打たれた体は多少濡れていたけれど、この程度なら平気だと頭を振って雫を落とした。 「足の裏は切り傷ばかりで、しみるような痛みが常にありました」 そのうち、慣れてしまった。 「泥まみれの足元は雨が洗い流したところで、汚いまま」 それも、見慣れたものだった。 「顔はどんなものか、鏡もない私にはわからなかったけど、きっとひどいものだったと思います」 だって貴方は、ひどく顔をゆがめていたから。 「随分長い間…、そうですね、たぶん雨が降り続いた間くらいは、まともなものは食べていませんでした」 濁った川の水。廃棄場に積まれていた期限切れの食物の山。食べ残しのお弁当。 へこんだペットボトルに半分ほど残ったジュース。のような濁った液体。 「キリキリ痛むお腹にも、ふらふらとする頭にも気をつかうことはあまりなかったです」 揺らめく頭の中を占めていたのは、 死にたくない、ということだけだった。 「そんなとき、橋からひょこりと顔を出した人がいて」 「私はその人の頭を見て」 「…美味しそうだなって、思いました」 ふわふわの髪。雨に打たれてもまだ弾力が残っていて、強いなあなんて呑気なことを考えた。 わたあめみたいに白くて、ふわふわしていそうで。 最後に見たのはずいぶん前に感じる、あの星のような輝きもあった。 「それから鳴り始めたお腹をおさえて、俯いて」 「気づいたら、目の前にその人が立っていたんです」 橋の上にいたはずの人は飛び降りたらしく、橋の下で雨宿りをする私の前に現れた。 傘を閉じると、しゃがんで、へたり込んでいる私に目線を合わせるみたいに、顔を覗き込んで。 「生きてるか、って、言ったんです」 なんだか自分のことのように、悲しそうな、胸が苦しくなるような声で。 風が吹き始めて少しずつ体は冷え、なけなしの体力はもう限界を告げるようだった。 投げやりに頭を縦に振ると、それ以上動く気は不思議と起きなかった。 死にたくないと思っていたことも、もう消えてしまっていた。 頭の中が空っぽになったのだ。 「きっと、私は生きてることを伝えたかった」 「ここまで生きたんだよって、誰でもいい、知っていて欲しかったんです」 たいしたことを成し遂げなくても、こうして橋の下で静かに命を消費するだけの私でも、 生きていたことだけは、認められたかったのかもしれない。 それを、伝えてしまった。 生きている、ということを、頷くことで答えた。 だからもう、いなくなってもいいんだと思ったんです。 諦めていい、もう休んだっていいと。そう思った。 皮膚が固まった泥に引っ張られて痛んだけれど、無理矢理に瞼を下ろしてみたら、 体からすうっと、力が抜けていった。 「・・・その後のことはあまり覚えていませんが」 「ひとつだけ、聞こえた言葉なら覚えています」 宙に浮くような感覚に、これでもうお別れかと思った。 最期なんてこんなもんか、あっけないな、なんてことさえ考えられていたけれど。 「やけに明るい声だった気がします」 腕を掴まれた。引き上げられた。 体重を預けると、返ってきたぬくもり。 ********** 「―――なんて言ったんだよ、そいつは」 のろのろした、とさえ言える穏やかな口調にイラつきを隠せず続きを促すと、 目の前の女は口元を緩め、深い弧を描いた。 そうして至極――この世のすべての富を集めたって叶わねェような――幸福そうな顔をして、口を開いた。 「明日は晴れだ、って、言ったんです」 ひねもすのたり (泥に隠れた涙は、もう乾くから) 戻 |