「銀さんて損するタイプですよね」
「はぁ?」
滲む視界のなかに捉えた人の顔は酷く歪んでいた。おまけに少し怒気も感じ取れる。 困ったな、今怒られると心身ともにもたなさそうなのに。と思ったのが伝わったのか否か、 銀さんは溢れる怒気を少し抑えながら私の額からぬれタオルを取り去った。 熱のせいでずっと前から温くなってしまっていたため、すこしだけ涼しさを味わえた。 それにしても歪んだ顔はここへ住み着いてから見慣れたものになってしまった気がするが、 本来はもっと気の抜けた生気の無い顔なのだと思うと少しだけ申し訳なさがうまれた。
「いつも人のことばっかりです」
「…そーでもねぇよ」
「そうですよ」
「たとえば?」
「自分が怪我してるくせにわたしの風邪の心配するところ」
銀さんはいつも人の心配ばかりして自分のことを後回しにするなと思っていたけれど、 そうさせているのは私だなということに気づいてはいる。 人のことを置いて逃げておとり作戦だと言ったり、自分のことは自分でなんとかしろと突き放したりするけれど 結局最後に損をしているのはいつも銀さんだ。それに気づいているんだろうか。 きっとこれは彼の性分で死んでもなおらないんだろうとなんとなくわかってきた。 お登勢さんはときどき過去の依頼で銀さんがいかに損してきたかを貶しながら話してくれるから、 私の体験だけでの判断ではない。銀さんは確実に損するタイプだ。 現に今も、今日できたばかりのなかなかの怪我を隠しながら私の心配をして、疲れたはずの体でそこにいてくれる。
「今回はそんなひでー怪我じゃないの」
「そんなに血まみれなのに?」
「これは返り血だよ」
熱にやられた頭でも口は回るが、それ以上に銀さんも回る。 この人はほんとにバカだなと思うときが時々あるけれど、今がそうだ。 私なんかのただの風邪につきあってないで、はやく手当をすればいいのに。
「銀さん木刀なのに」
「これはただの木刀じゃねえから、ってそういうのどーでもいいから、熱は?」
「ないですよ」
「嘘つけ、んな赤い顔して」
「あー、銀さんがいるからです」
「はいはい、飯は?食った?」
簡単に流されたことに若干の不満を持ちつつ、けほ、とひとつ咳をして、食べてないです、と答えた。 あ、また皺が増えた。
「食えねェの?」
「あんまり、食べたくない」
「あーそ、じゃあゼリーとか買ってきたからそれは?」
なんでその怪我でスーパーとか寄ってるんだろうこの人。 どうしてこの前の仕事でろくでもない客にひっかかったって、給料もらえなかったって、そう言ってたくせに。 ゆらゆら揺れる視界は熱の所為に違いないのに、なぜだか目尻から溢れた生温いものを見られたくなかった。
「…たべます」
「起きれんの」
「たぶん」
「無理すんな」
「…むりです」
せっかくなけなしのお金で、そしてその怪我で買ってきてくれたゼリーを食べたくてたまらなかったけれど、 持ち上げようとした頭は異常に重たくて吐き気もするし、なにか口に含んだだけで戻してしまいそうだった。 せっかく、と食べたって、食べられないのなら意味が無い。別に飲む薬もないから食べなくてもいいし。 ああそういえば今朝銀さんはお登勢さんから薬をもらったと言っていたような。夢だったような。 うんうん唸っていると、はぁとため息が降りかかった。見上げると顔の皺は幾分かなくなっている。
「…お前さ、それでよく人のこと言えるな」
「?わたしはいつも、自分のことばっかですよ」
「俺の怪我気にしてしんどいの全部我慢してる奴がなにいってんの」
あれ、ばれてた。
「…べつに、そんなしんどくないです」
「フラフラしてる奴が言っても無駄無駄」
努めてふらふらしないようにしていた身としてはむっとするものがあった。 悔しくて隠された怪我をキッと睨むと、銀さんの顔色が一瞬変わった。
「銀さんも手当した方がいいです」
「俺はもうしたの」
「うそだ」
「なんでだよ…」
呆れたような声を出すけれど、呆れたいのはこっちだってんですよ。 私の熱なんて寝てればさがるのに、あなたの怪我は消毒しなきゃいけないのに。 いつものことだから骨にヒビの一つや二つはいってるんじゃなかろうか。そう思うとまた悔しくなって、 悔しいだけなのに、涙が出そうになった。ちくしょう熱め。
「だって、急いで帰ってきてくれたんでしょう」
「……べつにィ?」
「わたしのことばっかじゃないですか」
「ちげェって」
「照れるとかいいんで手当しましょ、ね?」
「…はー、腹立つ」
「えー、なんでー」
「ガキは大人しく甘やかされてろよ」
「マダオは大人しく言うこと聞いてください」
やっとぐっと言葉に詰まる銀さんを見て、ようやく視界のもやが晴れたような気がした。