「あれ、」


夜も更けた頃、仕事中の部屋に素っ頓狂な声が響いた。 この声はあいつしかいねェと声の主はわかりきっていたので、 開いたふすまの方など見てやらずに、なんだ、と声だけ返した。


「まだ仕事してたんですか」


見りゃわかるだろう、そんなことまでわざわざ言ってやる義理はない。 一刻も早くこの書類の山を処理してやろうと、手は止めない。 いい加減にしないと倒れちゃいますよ、 あきれたような笑い声とともにそんな科白が聞こえた。俺だってやりたくてやってるわけじゃねェ。


「お茶持ってきたんです」
「…起きてるのは当たり前ってことか」
「だって縁側に部屋の光がこぼれてましたから」


まさかまだ仕事中だとは思いませんでしたけど。 なんて笑う様子を見て、心からこいつは何しにきたんだと思った。
…あァ、茶を届けに来たのか。

まだ笑ってるの手から熱い湯飲みを受け取ると、もうひとつ湯飲みを持ってるのに気がついた。


「…オイ」
「はい何でしょう」
「ここに居座る気じゃねェだろうな」
「居座るだなんてひどいですね」


応援しにきただけです。応援ですよ、応援。
力強くそう言う。何がアピールポイントなのかわからなかったが、誇らしげな顔で茶をすするを見て 呆れてというか、面倒というか。何も言えなくなった、言う言葉も見当たらなかった。

手を休まず動かしている間、は応援らしい応援もしなかったが邪魔もしなかった。 縁側に座ってぼーっと夜空を眺めて、お茶をすするだけ。 正直助かったが、それなら本当に何をしに来たんだかわからねェ。 訝しく思いながらも、わざわざこっちから突っかかる必要もねェだろうと、 を見ていた視線を、面白くも何ともねェ書類へ戻した。




一区切りついて、思い切りのびをした。 体中の関節という関節がバキボキと気味好い音を立てて、 それに気づいたのかが振り返る。随分と眠そうだ。


「…まだ終わりじゃねェぞ」


必死に目をこじ開けつつも、なんとなく期待に満ちてそうな様子につい念を押した。 声を出す気力もないのか、眠りに落ちるように勢いよく頷くと、また外を向いた。 あれじゃあ寝るのも時間の問題だろう、部屋に戻ればいいのに。 だがきっと戻れと言ったところで戻りはしないのが彼女だと、わかっていた。 けれどあの様子では、飲まないまますっかり冷めてしまった茶をいれなおせと頼むのも気が引ける。


どうしたものかとため息を吐いたが、結局また仕事へとりかかる。 なんでこうも総悟の野郎は店を破壊するんだ、さっきからすべて同じ書類に見える。 そろそろ寝ないと凡ミスをしてしまう気がした。


「これ終わったら寝るか」


誰に言うわけでもなくぽつりと零して、はっと我に返った。 慌てて縁側を見たが、すっかり寝入っているようで規則的な動きを繰り返すままだった。 ほっと息を吐いてから、なにを気遣ってんだ俺は、つい自嘲するような薄笑いを浮かべた。

随分着込んでいるようだが、季節は冬。 ずっと外にいて寒くないわけがないだろう、中にいたって少し肌寒いくらいだ。 いやそれはが障子を開けっ放しにしていたというのもあるだろうけれど。


こんなもんか。
彼女がきたときの半分くらいは終わっただろう。 書類の積まれた机を見つつ、そんなことを思った。


「オイ、」


ずっとそこで寝かせているわけにもいかない。 障子に手をかけて、そこに寄っかかって寝入るを見下ろした。 返事はないし、見たところ完全に夢の中だ。 全く聞き取れない寝言をむにゃむにゃと呟いている。


「…応援はどうした」


やっぱり返事はしないし、気持ちよさそうに寝息を立てる姿に、口元がつい綻んだ。 部屋へつれてってやってもよかったが、こんな姿を見ると万が一起こしたら可哀想だなんて思ってしまって。 自分の着ていた羽織をかけてやった、総悟に見られてねェといいんだがな。 むっつりだの何だのと言われかねない。

隣へ腰を下ろすと、座ったそこは随分と冷たい。 手持ち無沙汰になって外をぼんやり見遣ると、どうやら雪が積もっているようだった。


「…あァ、なるほど」


思わずくくっと笑ってのどを鳴らした。 仕事の途中で、すごく視線を感じたがおそらく雪が降ってきたことを伝えたかったのだろう。 だが仕事を邪魔したくもなかったのだろう、そう勝手に推測したが間違っちゃいないはずだ。 それは、少し前から規則的な寝息は聞こえなくなっていたから。


「狸寝入りとは、いいご身分だな」
「…ち、ちがいます今起きたんです」
「ほォ、そのわりに随分といい寝起きだな」
「…へ、変な夢見たので」
「それにしちゃァ静かに起きたじゃねえか」
「……」


しばらくは視線をきょろきょろと泳がせていたが、 急に項垂れたかと思うと、両手を挙げて、降参です、と呟いた。 おかしくて、思わずくつくつ笑った。


「お、お仕事は」
「まァ続きは明日だな」


なぜだか申し訳なさそうに、彼女はそう言った。 寝ていたことを悪いとでも思っているのだろうか。 ちらりと横から見下ろすと、ちらりと上目遣いでこちらを見る目とかち合った。 ふっと笑ってやると、みるみる頬が赤くなった。


「どうした」
「な、なななんでも、」


頭いっぱいに、胸いっぱいに、高まった感情があふれてしまった。 あァきっとこんなことを言えば。




君はうだろうけれど




好きだ


赤く熱くなった頬へ触れて、今にもぶつかりそうなくらいまで近づいて、そう告げた。 ゆるゆる目元を緩ませ、彼女は、は、そう、やっぱり、笑ったから。

ゆっくりと目を閉じるを見てから、冷たくなった唇へ口づけを落とした。



(どうしたんですか急に)(どうしたんだろうな)(…大丈夫ですか)(うるせェ黙ってろ)