気候の変動が激しいこの海域では珍しく、穏やかに晴れた日のことだった。
船の大きさこそこちらには劣るが、そこそこのクルーがいて、そこそこの金を持っていそうな海賊船が向かってくるのを見た。
双眼鏡越しに。
「なーんかやな感じだなァ」
帆はお世辞にも綺麗とは言えまい。船もそうだ。手入れがされてるとも言えないが、オンボロと言うほどでもない。
たとえて言うならば"愛されていない船"、と言ったところか。
詳しくは見えやしないが、その乗船員もろくな見目ではなさそうだ。
それに加えてこの胸騒ぎが当たっていれば、このままあの船と対すると胸糞悪いものを見ることになるだろう。
「おーい、船の進行変えられねェか」
「お頭ァ…あんたこの前もそう言ってろくでもねェ島に漂着したろう」
勘弁してくれ、とばかりに肩をすくめた航海士に平謝りして、俺はため息を吐くしかなくなった。
この前も嫌な予感がすると言って進行を変えたところ、食物も人も生き物さえろくに見付からない、
それこそろくでもねェ島に着いたのを思い出させられたもんだから、諦めざるを得ない。
嫌な予感が当たらなきゃいいだけなんだが。
***
「ゆ、許してくれ…あんたらにゃなんも危害加えてッ……ガハッ」
「ヤな予感ってなァ当たるもんだな」
「それで進行変えろって言ったのか」
「まァ予感だったけどな」
案の定だった。こちらに向かってくるなりあの見目の悪い船から、オツムの弱い船員が大砲をぶっ放してきた。
こちらの掲げる海賊旗に相手が気付いた時には時既に遅し、ものの数秒、とまでは流石にいかないが、
手短にこの"愛されていない船"のゴミどもを片付けあげた。そうして見つけ出した存在。
野郎共が下卑た顔で支配していたその存在こそが嫌な予感そのものであり、どこで手に入れたんだか知ったこっちゃねェが、
まだ幼い顔立ちの少女だった。当たり前とばかりに人質にし脅しの道具として彼女にナイフを突きつける馬鹿共を蹴散らして、
小刻みに震える小さな体を抱き上げた。一仕事終わるまでここで待ってろ、と船の隅にそっと下ろすと、
見間違いじゃなけりゃアこくりと小さく頷いたはずだ。今では置物のように動かねェが。
「俺たちの金で手に入れたんだから文句言われる筋合い…ヴッ」とかごちゃごちゃと言い訳を並べる、どうやら船長らしき男を、
言葉半ばに蹴り上げて気絶させると少女はいよいよ石のように固まった。
適当に他の船員共を縛りろくでもねェ船に投げ返してから、先ほど抱き上げた小さな体の前にしゃがみこむ。
「…嬢ちゃん、」
「っ、わ、わたし、なんでもやります…なんでも、やります、だから、こ、殺さないで、」
びくりと肩を震わせてからはバレないようになのか小刻みに震え、揺れる声で一息に怯えを露わにした。
これだけでどんな扱いを受けてきたか十二分にわかって、
先ほどつらつらと言い訳していたもう瀕死の野郎を死の淵に追いやるべく殺人チョップをくらわせ、同様に奴さんの船に投げた。
奴らのお家に返してやるあたり俺も甘いなァ、なんてしみじみ思っているのがばれたのか知らないが、
ベックマンが肩をすくめて見せた。ふぅ、とため息をつくと、小さなお嬢ちゃんの体がまた震えた。
俯いているため表情はわからない。短くそろった黒髪にはほこりや煤がついていて、艶も失われている。
きっと綺麗な黒髪だろうに。勿体ない事をする馬鹿もいるもんだ。
「…なんでもやる、かァ」
「はっハイ、掃除でも、炊事、買い物、やります、できます、」
「じゃあ一個だけ約束をしてくれ」
「…や、くそく?」
俯いたままで震えていた少女の顔がようやく上がった。黒髪が顔の横を滑り落ちる。
……こりゃあ売られるのも仕方ねえ…なんて言いたくもないが、言わずにいられないようなきれいな顔立ちの女の子だった。
俺を見上げるぱっちりと大きな丸い瞳は透き通る様な朱色だ。あァ、おそろいだなァ。
「なんでもやるなんて二度と言わねェこと」
「お頭……」
「…それ、だけ?」
「あァ、それだけさ。簡単だろう?」
ぱちくりと瞬きを繰り返す様は年相応に見えた。
少しだけこけた頬や汚れた見目は数日も経たずによくなるだろう。
そうしていつかその傷ついた心を癒すことができたら、とびきりの笑顔を見せてくれるのだろう。
ニィッと笑って見せてやると、元々でかいっつーのに、さらに目をまん丸くして見せてくれた。
びっくり人間じゃねェんだから、とくつくつのど元で笑っていると、戸惑った様な声が聞こえた。
「わ、わたしのこと、殺さない、の」
「ハッハッハ!そんなちっせェ男に見えるか!」
「まぁ見えなくもないな」
「昨日も酒に潰されてたしな」
「そういうとこはだらしがねェお頭だしな」
「そこうるせェぞ!!」
ここぞとばかりに俺の失態を嬉々として語るクルー共にツッコミを飛ばすと、
ぽかんとした表情をしていた嬢ちゃんの顔が少し緩んだように見えた。本当にそうであればいいのだが。
それにしても、そんな表情もできるんじゃないか、と感心した。
するとベックマンが煙草の火を消しながら、珍しく柔らかく笑って嬢ちゃんの頭を撫でながら言う。
「笑ったほうがいいぞ」
「…?」
「女の子はな、笑ってりゃいいのさ」
「そうだな!お嬢ちゃんくらいなら特にそうさ、良い事を言った!」
「お頭が言うとどうにも変態くせェな」
「そりゃ変態だから仕方ねえ」
「てめぇら……」
「……ふふっ、」
ベックマンに賛同の意見を述べると相変わらず聞き捨てならねェ言葉が飛び交うもんだから、
腰の刀に手を伸ばして睨みを利かせたその時、睨んだ先の奴らが一斉に目を見開いた。
俺の目がそれを確認すると同時に耳はその原因らしきものをしっかり聞いていて、
慌てて振り返ると嬢ちゃんが今度はちゃんと笑って肩を震わせていた。…こりゃァとびきりのお宝だ。
「なんだ、笑えんじゃねェか!」
「…わ、笑ったら、殺されると思った、」
「そんな馬鹿な話はねェさ、少なくともこの船じゃあ絶対にな」
ようやく顔の緩みを抑えることがなくなった嬢ちゃんの頭をガシガシ撫でてやると他のクルーから雑だなんだと批判されたが、
お前らそんなセリフはこの子の顔見てから言えってんだ。
「――助けてくれて、ありがとう」
にへら、と笑ってそういう姿は、どこの女の子にも負けねェようなとびきりのもんだったのだから。
つづきます