綺麗な放物線を描くんですねぇ。まぁ本当、素敵な虹ですねぇ。

テレビから聞こえる間延びした声に視線をやれば、視聴者からの投稿写真を見て、 専門家と呼ばれる類の人間がその写真の現象を解説していた。 見慣れたその現象は淡い色を空に残して写真に写り込んでいる。 七色だとか五色だとか、国が変わればその常識も変わるとは言うが、 もちろんわたしは七色も確認できた記憶はない。よくて三色だろうか。 日曜だというのにやることもなく、だらりと自堕落な時間を過ごしていたら、 つまらないワイドショーばかりがテレビをジャックする時間帯になっていた。 それで仕方なく最も平和そうな、見なくても話題に事欠くことはなさそうな、 とどのつまり高校生が見なさそうなこのチャンネルに落ち着いた。それにしても、退屈だ。 くわ、と大きく口を開けてあくびをすると涙がにじむ。 涙と太陽の光とでは虹はできないのだろうか。理科は苦手だ、まったくわからない。 小学生の頃から苦手だった。そのせいか物心ついた頃には理系らしい見た目が苦手だった。完全に偏見であるが。
そういえば、今までであった中で一番理系っぽく、そのくせ実際には一番わたしの中の理系像から離れた人間がいる。 高校に入ってからであったその人物は、今ごろ部活に勤しんでいるのではないだろうか。 眼鏡をかけて緑色の髪の毛、というのはいかにも理系、さらに言えば理科と言う感じがした。 それが失礼ながら第一印象であり、それ故か否か、しばらく関わりはなかった。 のちに知ったのは彼がバスケ部だということで、なんとなく勝手に運動とは縁のない人だと考えていたから、 それを知った日は一日中嘆息していた。人は見た目で判断しちゃいけません。 高校生にもなって改めて怒られた気分だった。(同時に、あの背の高さと実はすごい筋肉になんとなく納得がいった。)
…ふと思い出した。彼の相棒と自称する黒髪の彼に今日何事かに誘われたような気がする。 ソファから体を起こし慌てて携帯を開き数日前のメールを探ると、やはりその通りであった。
日曜、暇なら学校きて!練習試合やるからさ!
そこには彼の声で容易に再生できるような文言がならんでいた。 たしか行く、という旨を伝えた気がする。だというのに完全に忘れていた。
「…制服でいっか」
ぼそりとこぼした言葉は誰にも拾われることなく、穏やかな時間を提供するテレビの声に消された。 休日といえど学校にいくなら制服の方が安全だろう。いそいそと着替えてカバンの中身をごっそり抜き出した。 代わりにいれるものは財布、携帯、あとは…。 ぐるりと部屋を見渡して、明らかに存在を主張してくるものがあった。 水玉模様の、緑色のタオル。物心がついてからこんな目立つ系統の緑色を手にしたことはなかった。 それなのにここにあるのはもちろん趣味が変わったとかではなく、変わったのは周りの環境。 今の高校に入ってから奇妙な人物と出会うことが増えた。 その名だたる奇妙な人間の中でトップに君臨するのが、さっきのまさに理系な見た目の彼であり、バスケ部の彼であり、 このタオルをくれた人間だった。その時のことは今でも鮮明に思い出せる。


「――これ、」
落ちたよ、と例のタオルを差し出した目線の先はネクタイであった。 徐々に視線をあげるとずいぶんと高い位置に綺麗な緑色を携えた頭があって、 同じく透き通るような緑色の目が見開かれてわたしを見据えた。 ぱたぱた瞬きをしながら、綺麗な顔だな、と思った頃には私の手からタオルはなくなっており、 綺麗な顔の持ち主は何も言わずに行ってしまった。 差し出した手はそのままに彼のいった先をぼんやり見ていると、すっと切れ長の目を持った黒髪が視界に現れた。 驚いて後ずさって机にぶつかった。痛かった。
「ごめんな、さん」
「…え?なにが」
「さっきの。真ちゃんお礼も言ってなかったっしょ」
「しんちゃん……」
「頭が緑で背の高ーい、眼鏡かけた、」
「あぁ、あの綺麗な人」
今見ていた先に行ってしまった人か。ちらりとまた彼が去った方へ視線を向けるが当然ながらその緑はもういなかった。 ぼやっとしているとケラケラと乾いた笑い声が聞こえた。目前の黒髪の彼が笑っている。 そう言えばなんでこの人私の名前を知ってるんだろう。よく見ればこの人も綺麗な顔をしている。
「綺麗な人ね、ハハッ!たしかに睫毛なげーし」
「へえ、長いんだ」
「あれ、それじゃねーの?」
「顔の位置が高くて睫毛の長さまではちょっと」
「…え、じゃあ綺麗って?」
「あぁ。目が、ね。綺麗な緑だった」
透き通るような緑色。空に浮かべても映えそうな鮮やかで綺麗な色。 ビー玉にありそうな、夏祭りで見かけそうな、そんな親しみも湧くような柔らかな緑。 あの綺麗な色を細かく思い出していたら、目の前の彼がぽかんと惚けているのにしばらく気がつかなかった。 先に現実に返った私は黒髪の彼を現実に戻そうと眼前でぱたぱた手を振った。 すると彼ははっとしたと思えば、ニヤリ、笑って。
「あんた、面白いね」
そんなこと初めて言われたなー、と返そうとしたら、ぬっとでかい影が彼の背後に現れた。 見慣れたネクタイが覚えのある高さにある。 ゆるゆるとまた視線をあげると、あぁ、綺麗な緑。
「高尾、何をしてる。先輩が呼んでいるのだよ」
「おっ!わりーわりー、さんが面白くってさ!」
「え」
「真ちゃんの目が綺麗だってさ」
「…目?」
綺麗な目が私を捉えた。吸い込まれるようなそれではないけれど、 じっと見ていたらゆらゆらと変わってしまいそうだな、と思った。 なにが、とは自分でもよくわからないけれど。
「あ、えぇと、うん」
「……これをやる」
本人を前に、しかも男の人に綺麗と言うのもなと思って言葉を濁していると、これ、と言って渡された、のは。
「このタオル、」
「さっきお前が拾った」
「真ちゃん、そこはありがとうっしょ」
「うるさいのだよ」
なぜ、タオル。そしてなぜくれる。
緑生地に水玉という、あまり見ないような組み合わせのタオル。 私の持ち物には緑色のものはもちろん水玉模様のものもない気がする。 とはいえ、もらうわけにはいかないだろう。私はただこの背の高い彼の印象を述べただけだ。 だんだんと疑問に頭が傾いていくのに私自身が気づく頃には、言い合いを始めた二人も私を見ていた。
「緑色が好きなのだろう」
「…え、」
「だからそれをやる」
そう言うと、真ちゃんと呼ばれた彼は、高尾と呼んだ黒髪の彼の首根っこをつかんでさっきと同じ方へ去って行った。
長くなったが、これが彼と私のファーストコンタクトであり、私の部屋でひどく存在を主張するタオルの説明になる。 その日から主に高尾くんに話しかけられることが増え、 緑間くんとは緑色のグッズを勧められる機会として会話が少しだけ増えた。 もちろんその都度丁重にお断りしているが、同時に高尾くんがケラケラと笑う。ツボが浅いんだと思う。 二人ともバスケ部で、毎日部活に励んでいるのは噂でも本人からも聞いていた。 だが練習試合とはいえ、見にきたらどうかと誘われたのは今日が初めてだ。その初めてを忘れていた。 まったく我ながら変なところで抜けている。 忘れ物はなし、と家を出ると同時に携帯がカバンの中で震えた。 最後に入れた例のタオルをのけてそれを見ると、やはりというか高尾くんからのメール。 急いで行く、と打って、その通りに自転車をかっとばした。
「すごい人、」
体育館近くに自転車をとめて、目的地に向かうと人だかりができている。 多くは私服だったがなんとなくうちの生徒だろうと予測がつく。 見慣れた顔もちらほらあるからだ。その人の壁を壊す気には到底なれず、 人と人の間からそれとなく見える位置を探し出した。 体育館の中でその姿を見つけたのと、おそらく彼が一番綺麗なフォームになったのは同時だった。
「――入った、」
高く放物線を描いたボールは気持ちの良い音を立ててリングに吸い込まれていった。 スローモーションに見えた。コマ送りで、けれど瞬きをしたらその瞬間に終わってしまうような。 しばらくその緑色に視線は釘付けだったが、ブザービートが鳴ってようやく我に返る。 嬉しそうに緑間くんに駆け寄る高尾くんが見えた。綺麗な、放物線、だった。 おめでとうと、あるいはせめてお疲れ様の一言だけでも言いたかったが、この人の多さでは難しそうだ。 メールすればいいかな。明日学校だしその時でいいか。そう思い踵を返そうとした、とき。

綺麗な放物線を描くんですねぇ。まぁ本当、素敵な虹ですねぇ。

きれいなきれいな瞳が、私の目を捉えた。 思い上がりも甚だしいと、この人だかりだ、誰か一人でも言ってくれたならよかった。 それなのにこの人だかりの全員が、思い上がりなどではないと言うように、 あの目はお前を捉えていると教えるように私を見ていた。 、と彼が私を呼んだからか。それに反射的に、えっ、と珍しく大きな声が出てしまった私のせいか。 できることなら前者ということにして密かに恨みたい気分だった。 が、遠くからでも十分にわかるほど、眼鏡の奥の瞳はあまりに綺麗で、柔らかく、私を見つめていたから。 あまりにも、あの淡い色で成り立つ虹を思わせたから。




揺蕩う


(ぐらぐら、ふらふら、ゆるゆると、)(心が叫ぶように揺れていた)



人波をかき分けてやってきた緑間くんにあのタオルを渡すと、綺麗な瞳を存分に見せてくれるかのように彼は大きく目を見開いた。
「あのね緑間くん、」
伝えたいことがあるの。
私は緑色が好きなんじゃあなくて、あぁもちろん嫌いじゃないけれど、でも緑色ばかり集めるほど好きなわけじゃあ、ないんだよ。
「私はね、緑間くんの目が、綺麗だと思ったの」
緑色ではなく、緑間くんのもつ色が。 じっと見上げると、目を細めて緑間くんは私を見下ろした。 私はというとあの平和な番組になぜだか感謝したい気分だった。 あの虹の写真は確かに綺麗だったな、と今更思い返しつつ目の前の淡い緑色を見つめると、 彼はまたも綺麗に、それはもう美しいと言うしかないほどに、柔らかい弧を目元に口元に湛えていた。