結局、出逢ってしまうのだ。
謀らずとも、契りなど結ばずとも、必ずどこかで出逢う、のだ。
それは彼が、絶対に私を手放そうとしないから。
狙った獲物は逃さず、獣のように、本能のままどこまででも追い続ける、から。
彼らしくないといえば、そうだ。
自分に邪魔ならばさっさと殺してしまうのが神威の、いわゆる信念というやつだろう。
夜兎族全員を敵にまわすような罪を犯した私を追うことなど、彼にとっては面倒で仕方なく、楽しみの邪魔なはずだ。
それなのに、追いついては逃がし、また追いついてきては、逃がして。
他愛ない会話をぽろぽろとしたあと、にっこり笑って、傘をくるくる回しながら手を振るんだ。
ありがとうも、ごめんも何も言わずに私は今日もまた走り出した。
何も言えやしない、きっと神威は船に帰るたび、上からお叱りを受けているだろうに。
お前が捕まえられないわけがないだろう、だけならまだしも、役立たず、そんなことすら言われているのかもしれない。
こんな女なんて相手にしても、なにも楽しくないだろうに。それどころか評判が落ちてしまう、信頼を失ってしまう。
…いや、もしかしたら、そういう命なのかもしれない。今はまだ殺すな、と。
油断させ、心を開いたところで心身共に絶大なダメージを与えろ、そして、殺せ、と。
あぁそうだったなら悲しい。
でも案外傷ついていない。それはきっと神威が何を考えているかなんてわかった試しがないから、
本当のところは何もわからないから、だろう。
それに彼が上の命を素直に聞き、そんな面倒なことをやるほど
上手に生きる人間じゃないということは、きっと誰より私が一番知っている。
ずっと、相棒として、片腕として闘い、そばに居続けたのだから。阿伏兎にだって負ける気はない。
無駄なことをごちゃごちゃと考えすぎたようだ。
三日三晩逃げ続けた足腰はすっかりくたびれたし、なにより食料がたりなかった。
こんなにも夜兎であるのを憎んだことはない。食べても食べても、腹の虫はなりやまない。
地球人が満足するような量では到底足りないのだ。
ごろりと寝転んだ、なんて言えたならまだよかった。二本の足では支えきれなくなって
走ることはおろか、歩くことさえできなくなった。お腹すいた、な。
両手をのばして天を仰ぐと、ぽつり、上から滴が降ってきた。
「、」
「かむ、い、」
「ちゃんと逃げなきゃだめじゃんか、」
神威がうつむいて、きれいな髪の毛からしずくが滴るのを見て初めて雨が降り始めたことに気がついた。
傘は持ってこなかったのかな、いつも楽しそうにくるくる回してるのに。
いつもみたいな笑顔は今、ぬれた髪の毛に隠れて見えない。
落ちてくる滴は雨だと思っていたけれど、もしかしたら、そんなことはない、はず、だけれど。
「…泣いて、る、の」
「が好きなんだよ」
「かむい、」
「ぐちゃぐちゃにして殺してやりたいくらい」
「うわ、こわい、」
「でも俺と結ばれればいいと思って」
「…は?」
「そうしたら強い子ができるだろうし、」
あぁいや、そんなのどうだっていいのかもしれない。
うつむいたまま、そう呟いた。
神威らしくない、こんなの神威じゃない。恐ろしい発言に反応した、本日初の鳥肌は今はどうでもよくなってしまった。
ぽつりぽつりと零す言葉に、いつものような覇気はなくて、弱々しくて。
言ってることが違っていれば弱音にすら聞こえたかもしれない。それくらい、消えてしまいそうなそれだった。
神威はしゃがみこんで私と近くなった。だんだんと重たくなるまぶたに気づかぬふりをして
もうこれが最後だろうな、まったく力の入らない腕を無理矢理上げて、神威の頬に触れた。
ひんやりと冷えたそこは、かつて触れた、どこぞの星の人間のものとは違った。
とにかく冷たくて、とにかく、寂しくて。消えてしまいそうだ、いなくなってしまいそうだ。
「なんで、上の奴を殺したり、したのさ」
「…ちがう、」
「俺はを殺さなきゃいけない」
でも、殺したくなくてしかたないんだよ。
震えた声に聞こえた気がしたのは、私のうぬぼれか。
上の奴を殺したのは、よくある衝動的な、それだった。ような気がする。よく覚えてない。
ただ思い出せるのは、神威のことを悪く言われたということ。なんだ、それだけだよ。私って、ばかだ。
でも触れている冷たさにも、頬から手から腕から、私の元へと届く水分がどうにも温かくて。
雨なんかじゃない、そんなもんじゃない。わかっても今度は言わなかった。神威は、私の方へその顔を向けてくれたから。
「なんだよ」
「えぇ…、べ、つに」
「そんな目で、」
神威の手が私の首に掛かった。きゅうと絞められていってすぐに苦しくなった。
けほ、吐き出すものなんて、どでかい胃にはもう入っちゃいない。のどが乾いた音を鳴らした。
確かに震えている手は少しだけ温かい、これだ、これがあるから、私はこいつを憎めなくて、殺せなくて。
そもそも私なんかじゃ神威を殺せやしないだろうけれど。
ひゅーひゅーとのどで息をする私を見下ろして、にっこり笑った。温もりどころか感情さえない笑顔だった。
それなのに不思議と悪寒も恐怖もなくって、困った。死ぬのかなぁ、こんなことで実感して。
「あ、わかった」
呼吸すら怪しくなってきた頃、神威はぱっと顔を上げてそう言った。少しだけ顔に生気が戻ったような。
顔を上げたのと同じようにぱっと私の首から手を離すと、立ち上がって、なぁんだ、初めからこうすればよかった、そう言った。
急に空気を吸い込んだのどは確かに私の限界を告げていて、しばらく咳き込んでしまった。
何に納得したのか聞けないまま、宙に浮く感覚に襲われた。神威の肩に、かつがれて、る。
かむい、紡ぎたかった名はひゅーひゅーと声にはほど遠い音となった。
「もう誰の目にも入れてやんないよ」
「俺だけのもの」
「俺だけの、だ」
本日二度目のぞわっと立った鳥肌は本能か。快楽か恐怖か。
後者だとしても、本日一番の楽しそうな笑顔に、もういいや、白旗を揚げた。
極刑など生温い
(もう二度と誰も愛せぬようにしてみせよ)
「船に戻ったら軟禁しちゃうから」
「…え」
「それなら誰にも殺されないし、ずっと俺だけのだヨ」
「だヨ、って、そんな明るく言うことじゃ」
「俺だけ見てればいい」
「…はい(ひきょうだ、こいつ、)」