どんよりと空に広がる重たい雲が、買い物がえりの私の心まで重たくさせた。 今日はたくさん買い込んじゃったのに、なんてことを思っているうちに気付けば早足になっていて。 こういうときは朝に見た天気予報より、長年の経験を信じた方がいい。 両手がふさがっていては傘を持てないし、降られてしまっては帰れなくなる。 帰るまで降りませんように、と祈ったそのとき。 ぽつり、頭に望まない雫が落ちてきた。


「…なんか悪いことしたかなぁ」


祈った直後に降るんじゃあさすがにひどい。 はぁ、とため息をつくけれど、もちろん雫は落ちてくる。 急いでどこか趣のある、古ぼけた小さな家へかけこんだ。


「すこしだけ、なら」


大丈夫だよね。 誰かに尋ねるというより自分に言い聞かせるように呟いた。 雨がどんどん強くなるのを見ていたら、帰れるのか不安になってしまった。 でも今日、結野アナは雨降るなんて言ってなかったのに。


…、」
「わっ、!」


走ってきた道をぼんやり眺めていたら、後ろから急に声をかけられた。 これが知り合いじゃなかったら、桂さんじゃ、なかったら。 きっともっと間抜けな声をあげていたかもしれない。 けれど結局変な声を出したのに変わりはない、恥ずかしくなって、少し顔が熱くなった。 もしかしてここは桂さんの、いわゆるアジトだったのかもしれない。

けれど、可笑しい。
桂さんの声が聞こえてこない。


「…桂、さん?」


いつものように矢継ぎ早に話をする桂さんはどこへやら。 俯いたまま、雨の中に立ち尽くしている。 あのー、と声をかけても名前を呼んでも反応がない。 首を傾げて見たけれど、わからない。何かあったのかな。

両手に提げていた買い物袋を、なるべく濡れていないところに置いた。 雨の中に立ち尽くす桂さんの元へいくと、土砂降りがすぐに私もびしょ濡れにした。


「風邪、ひいちゃいますよ」
「おれ、は…、」
「…?なにかあったん、…ッか、かつら、さ、」


俯いたままの彼の顔を見ようとしたら、ふらふらと私との距離を縮めてきた。 幽霊のようにも見えるその迫り方が怖くて、つい後退る。

細い道に入ってしまったと気づいたのは、とん、と背中が行き止まりを知らせたのとほぼ同時だった。 降りしきる雨はすっかり着物を濡らしきって、私の体温を容赦なく奪っていった。 でもそれは目の前の彼だって同じはずで。

それなのに声をかけてもいつものような的を得ない返事はおろか 私の声さえ、聞こえていないようで、それは、とても、


「――かなしい、です、」
「……ッ、すまん」


はっとしたように、桂さんは少しだけ顔をあげた。それでも表情までは見えない。 手をのばしてつい触れようとしてしまった。


やめろ、

低い声が響いて、すぐに手を引っ込める。 やっと通じたのかなと喜んでいた気持ちは急に沈んで、また悲しさに埋れた。


「…ずっと、考えていた」
「な、にを、ですか」
「俺は…、俺は、お前に触れていいのか、と」


それは彼が当たり前のようにしてきたことだ。 綺麗だ、と言って髪を触る。 貴方の方が綺麗ですよ、と言いたい気持ちを押さえ込んでいたことなんてきっと気づいてない。 顔が赤いぞ、と言って額を合わせる。 その行動が余計に熱をあげるんだってことも、やっぱり気づいてくれないのに。 それなのに、急にそんなことを言って私を突き放すんですか、そんなの、そんなの、は。


「いいんです、よ」


いつもみたいに、触れてください。 桂さんの手へとのばした私のそれは空をかいた。 それは彼が彼自身の手を見つめ始めたから。

悲しさに悲しさが積み重なった、今まで結構そばにいたと思ってたのにな。 自惚れて、いたのかな。 私じゃ、だめなのかな。 積み重なった悲しさにさみしさまで乗っかってきて。

うつむくと、髪の毛から次々に雨が滴り落ちた。まだ全然止まないんだ、そんなことにもまた悲しくなって。 すると自身を責めるような彼の声が聞こえた。


「この薄汚れた手で?血にまみれた、手で?…触れて、いいものか」


どうして私の答えなんて待たないで、自分で決めてしまうのか。 いいかどうかくらい、私に決めさせてくださいよ、桂、さん。

桂さんの目の前で震えていた手を無理やりひっつかんだ。 すぐに抵抗があったけれど、離すまいと握り締めると、ようやく桂さんの顔がちゃんと上がった。

涙か雨かもわからないほどに濡れた顔で、初めて見る、ゆらゆら揺らぐ瞳で、私を見つめた。


「いいんです」
「…だが、」
「いいんですよ。だって、ほら」


普通の手です。あったかくて、でも少し無骨で。
…だからこそ、愛しくて。


いつも私に触れてくれた手が今、小刻みに震えている。 数多の命を奪った手が、私の前では震える、んだ。 どうしようもない私は、どうしようもなくそれが嬉しいんです。 愛しい、のです。


「そんな桂さんを好きになったんです。そんな貴方だから、私はそばにいたいんです」
「…そう、か」


それだけ呟くと、少しだけ笑った。 その笑顔が大好きなんですよ、 そう言えば、ぎゅうっと抱きしめられて、何度も何度も、名前を呼んで、くれました。




える掌、する人






私が握り締めていた筈のあたたかくて大きな手は、気付いたら逆に私の手を包み込んでいたし 気付いたら距離数センチのところに桂さんの綺麗な顔がありましたし。



「すまん」
「…え?」
「とまりそうに、ない」
「へ?…え、ちょっ、わぁっ!か、かつら、さ、やめ、」
、愛して、る」
「……そんなこと言っても、だ、だめ、です!」
「…知ったことか」


(にやりと笑った顔はきっと、)(私だけのもの)