悪夢かと思ったわ。よりによって、ありえないと思っていた寮に。耐えられる訳などなかった。
ギラギラとした探究心や冒険心に満ち溢れた瞳も、当たり前のように差し出される勇者のような手も。
ふざけるなと罵れたらどんなによかったか。そもそもそんなことができるようなら私はここにいないのだろうけど。
「スリザリンに入りたかった」
そんな風に思う私がなんで、よりにもよって、グリフィンなの。
「そうかよ」
「あなたにはわからないでしょうけど」
「これっぽっちもな」
「想定内よ」
それでもこうして隣に座っていることは嘘ではない。快適かと問われたら少し言葉に詰まるが、不快かと聞かれれば即答しただろう。いいえ、と。
「ブラックの名があれば、スリザリンに入れたのかしら」
「俺の前でそれを言うのか」
「あなたは変わり者だから」
「お前の言葉には嘘がないからな」
だからお前には無理だ。
ケラケラとバカにするように隣人は笑った。しかしそこに一切の棘はなく、これが彼の現状の所以なのだろう。
堂々としている。まるでそこに後悔はないように見えるし、少なくとも私にはすべてのことを楽しんでいるように見えたのだ。
そのときは。だから少しだけ憎くて、それでいてやっぱり、とんでもなく羨ましかった。
「選べる立場にあったようにさえ、思えたの」
「俺が?」
「そう。けれど、あなたの家系を考えればとんでもないことね」
選ぼうとして、ブラック家唯一のグリフィン寮に入れるものではないのだろう。
彼の、生まれ育った環境、思考の回路、変化、成長。見てきたもの、そしてこれから見ていくと、選択したもの。その選択の基となっただろうもの。
それらすべては私とは異なる。他の誰にも得られるものではない。
だからこそ彼にしかできないことがあって、私にはできなかったことをやり遂げ、彼と私は今ここで話をしている。
「スリザリンに入りたかったのはなんでだよ」
「…きっと自惚れていたからよ」
「どういう意味だ?」
「私はきっと頭の回転が良くて、狡猾で、性根が悪いと思っていたの」
そうでありたかったに違いないのよ。
しれっと答えて見せたつもりでも、声が震えたのには自分でも気づいていた。
どうしてこんな恥ずかしいことを惜しげもなく言ってしまったのだろう。これが私の現状の所以なのだろう。
「そうだな、お前は頭の回転は遅いし、嘘も下手、嫌味は多いが本当はとんでもなくいい奴さ」
「それこそとっておきの嫌味だわ」
「あぁ、それくらいはわかるのか」
「馬鹿にしてる」
ただの知人と称すにはあまりにも知りすぎた。それにしても友人というには他人行儀が過ぎる。
そんな呼び名のつけがたいこの隣人は、その綺麗に整った顔を有効に使い、きっと女生徒の何人かが目をハートにさせるような笑顔を見せた。
彼が悔いるべき点は、私にその笑顔が効かないということを失念していたこと、ではなく、
私がその笑顔に嫌悪感を抱いていることに未だ気づかないことだ。
彼は私を友人と呼ぶ。私は彼をシリウス・ブラックと呼ぶ。それ以外には呼ばない。口に出しては。
スリザリン生といるのは好きだった。そのねじ曲がった考えを誇らしげに語る姿が好きで、私もそうでありたいと思った。
そうであるはずだった。自分では、その姿を描いていたのだから。
それでも実際に彼らとの接点は皆無に等しい、それもこれもよりにもよって今の寮にいるせいだ。
せめてレイブンクローに入れたら多少の交流は許されたのかもしれない。
「あの腐れ帽子、燃やして灰にして暴れ柳の肥料にまいてやりたい」
「無理だろうな、お前じゃ」
最後に無駄な一言を付け足すのがこの男の常で、私はそれにいちいち顔を歪める羽目になった。
つっこむのも不愉快で、私はもう部屋に戻ろうと無言のまま重たい腰を上げた。
「俺はな、」
時計の針が大きく動く。時間は動く。あの針が逆回りしてあの時に戻ったとして、私は、願い方を変えられるだろうか。
***
「(スリザリンに入りたい)」
「(グリフィンだけは、)」
「(あの"シリウス・ブラック"と同じ寮にだけは、なりたくないの)」
「――そうか、それでもお前たちは出会う運命にあるぞ、・!
お前は、いや、お前たちは――――グリフィンドーーーーーーール!!!!」
***
ただスリザリンがいいと願えばよかったのか、シリウス・ブラックの名が原因なのか、今となってはわからない。
「お前と同じ寮で、こんなにラッキーなことはねえと思ってるよ」
、と嬉しそうに笑う声に、表情に、細められた目に、嘘はないとわかるようになったのは、どうしてだろう。
それを悲しいと、悔しいと思っていたのが、遠い昔のように。心の奥底でじんわりと、私の許すはずのない気配が蠢くのを感じていた。
「私はこんなに最悪なシナリオはないと思っているわ」
いつの間に取られた手を振り払って、髪を後ろに払いながら振り向きもせずに塔へ戻った。
あの陰湿な暗い地下に戻ることができたなら、どんなに気が楽だったのだろう。そう思うことは、嘘ではないのだと。
いつまで自信を持って言えることだろうか。
空泳ぐ魚