日も暮れようとした頃に湖畔での姿を見つけた。柔らかく吹く風にその黒髪を任せて、ただ日の沈むのを眺めている。
ただその横顔を見ただけだった。
組み分けの時、箒で飛べた時、からかったあとに照れてそっぽを向いた時。
綺麗な横顔だと思った。ただ口元を緩めて優しい目をする彼女に触れたいと何度思ったことかわからない。
ジェームズにはしつこいほど
「君たちにはやきもきする!いい加減にしてくれ、いったいいつから君はそんな女々しくなったんだ」と言われたっけな。
彼女の生い立ちをバカにし見下すような言葉を浴びて静かに怒る時も、
その後に一人で時計台の塔に隠れて泣いていた時も、彼女は美しかった。
泣く姿を散々眺めてから声をかけた俺にエヴァンズの奴は「趣味が悪い」とか「気持ち悪い」とか散々言ってくれたが、
はというと、声をかけづらかったのだろうと、あろうことかこちらを思う言葉を零して、笑った。
いつの事だか、一度だけ綺麗だな、と感想を漏らした時、幸いには届かずともリーマスには聞かれたところ、アイツは目を丸くして驚いていたな。
あの顔はなかなか見られない傑作だった。
なんでもないようなことを思い返している間に
少し時が経って、周りはぼんやり暗くなってきた。それでもは、まだ湖畔に佇んでいる。
そろそろ風も冷たくなるだろうに、置物みたいに動かない。
…そういえばどっかの純血主義の馬鹿共に最悪な言葉を言われた時の彼女は、
まるで自分を守るように、今みたいに固まっていたな。
そうして、また後で誰にも言わずに一人で泣くのが彼女の特技らしかった。
そんな特技はさっさとなくなってしまえばいいのに。
―――
「…あぁもう!もどかしいなあ、何をグズグズしてるんだあの駄犬は!」
「いい、ちょっかいかけちゃだめよ!…どうしてのことになるとシリウスは奥手になるのかしら」
「シ、シリウスらしくないよね」
「……見惚れてるんじゃないの」
「ムーニー正気か?あのシリウスが?確かには美しいけれど、」
「あら、けど、何かしら?は美しいわ。私だって見惚れるもの」
「あぁリリー!僕は君に見惚れてしまって他の子に気づけないんだ!」―――
「」
「…シリウス」
ひとつ強い風が吹いて彼女の顔がその髪で隠れた。東洋から来た彼女らしい、たっぷりと艶のある黒い髪だ。
振り向いて横顔から正面へ向き直ると、俺の好きなやわらかい笑みを見せてくれた。
本人に自覚はないようだが整った顔立ちだ(と俺は思う)し、薄い赤混じりのブラウンの瞳も綺麗に透き通っている。
「リリーの髪の色とおそろいね」と喜ぶ彼女に、エヴァンズは愛しさのあまりか抱きしめつぶさんばかりの抱擁を返していた。
「あのね…夕焼けが、きれいで」
「そうだな」
夕日に照らされる姿だって十分に。その言葉も続きも口を出ることなく消えたが、は帰ろうか、と笑いかけた。
耳に髪をかける仕草。それも俺の好きなもののひとつだった。
「いつもここで何を考えてるんだ」
ここにいるときのどこかをまっすぐ見つめているような様子は、ただ夕焼けに見惚れていただけのものとは思えない。
人によっては睨むようにも見える視線の鋭さは、けれどその先を曖昧にしたままだ。
「……なにも」
「ここにくるとよく嘘をつくな」
「あら、他にもついたかしら」
はて、と首を傾げていた彼女に気づかれぬよう、小さく溜息を吐いた。
「お前が泣いてないとか嘘つくのは決まってここだろ」
「…そうでした」
いたずらがばれた子供のように照れ笑いを浮かべて、は肩をすくめた。
いたずら好きなのは俺と彼女の共通点だった。もっと言えば俺だけじゃなくジェームズとも同じだが。
時々俺たち四人の作戦に首をつっこんでは、エヴァンズに怒られている。
ついでにトロフィー磨きも何度か経験済みだが、故郷では真面目だったのか、罰則は初めてだと喜んでいたために
マクゴナガルがその数を増やしたのは良い思い出だ。さすがには手が疲れたとぼやいていた。
ばかだなと思って、笑って、少し口をとがらせる彼女の頭を撫でて。
風が吹くたびに身を縮めながら隣を歩いている。
頭一つ分低いところにいる彼女の,その表情は伺えなくとも言いたいことを抑える気にはなれなかった。
それを伝えに来たんだ。いつもその横顔に見惚れて、笑顔に思考を奪われてズルズルと先延ばしにしてきたが。
今度ばかりはちゃんと伝えるとあいつらに大口叩いてきてしまった。
「」
「なーに」
「話があるんだが」
「そう」
小さく震える彼女にローブを着せると冷たい風が身をまとった。
それでも、そんなもの気にならなくなるほど、柄にもなく胸の左側がやけに煩かった。
ありがとう、と嬉しそうにする彼女を見ると、ここまでごちゃごちゃしていた頭の中が不思議とすっきりした。
「なあに」
左隣に立つ俺をが立ち止まって見上げた。
その顔は、もう全てを見透かしているような、そんな気がした。ただの希望かもしれない。
わかっていて話を聞いてくれるなら、あるいは。
もう思考はやめた。の前に片足で跪いて、彼女の細く女性らしい、美しい左手を取った。
「俺と、結婚してくれないか」
彼女の目を見て、そう告げてからそっと、薬指に触れるだけのキスを落とした。
そこには、いつかのホグズミートでプレゼントした指輪が輝いている。
彼女の細長く、ささくれなど見当たりもしない手入れの行き届いた指にふさわしく。
そんなことを思いながらもう一度視線を上に戻した。
「…?」
俯いた彼女の表情は、その髪にうまいこと隠されてしまった。
いつもは指通りの良いそれに愛おしさを感じるが、この時ばかりはさすがに邪魔に感じる。
、
名を呼んだらピクリと反応した指先。手を包むようにして、今度はその手の甲に、先ほどよりもずっと長く口付けた。
これだけでこの胸を裂いてしまいそうな程の想いが伝わればいいのに。
大きすぎると、重たすぎると笑うだろうか。彼女ならそれでも、許して、抱きしめてくれる様な気がした。
「…しり、うす」
「あぁ」
「わ、わたし…き、きっと、ずっと先だと、思ってたの」
「俺も、そのつもりだった」
「……じゃあ、どうして」
「の、隣に居たくなった」
ずっと、誰からも許されるように。願わくばそれが祝福されるように。二人の仲そのものが、愛されるように。
「――いつか、」
手元に落としていた視線を上げると、ようやく目があった。
そこは揺らいで見えて、けれど淡くも真っ直ぐな赤になんとなく既視感があった。
「離れてしまうと、思ったの」
「…が?」
「ううん、私から、シリウスが」
ゆるく首を横に振る仕草も、揺らぐ声も、ゆっくりした瞬きも、小さく震えるこの手も。
どれも大切で、心の奥底では誰にも見せたくなくて独り占めしてやりたくて仕方ないのに?
嫉妬深いとエヴァンズに叱られたことがあった。
故郷の男からの手紙に喜ぶに当たった時だったか。
ダンスパーティーで他の男と話す姿にイラついた時だったか。
ジェームズやリーマスなんかはよく笑ってバカにしてきたというのに、は少しだけ困った顔をしていた。
そんな顔をさせたい訳じゃあなかった、のに。
それほど嫉妬深く欲の塊を持つ俺が、から離れられると、彼女は思っていた、と。
「…きっと相応しくないと思って」
「何がだよ」
ありえない、と頭を振ったが少し感情が漏れてしまった気がした。
どうしてかは自分を卑下したり、自信がなさすぎる節があった。
ここで家柄を引き合いに出されたら、また当たってしまいそうだった。大事な話だというのに。
それでも彼女は、まるでわかっているとでもいう様に柔らかく笑って、こう言った。
「シリウスを怒れないの、私だって」
「…?どういう、」
「私だって、あなたが女の子と話してたら苦しくてたまらない」
そばに違う子がいるだけで、胸が焼けるように痛むわ。
しっかりと俺の目を見て、言った。口元はキュッと結ばれている。燃えるように赤が輝いた気がした。
「…馬鹿だな」
「私もそう思う」
「逆だろうが」
ふさわしい、としか言えないじゃないか。
欲深い二人で、互いに互いを独り占めしたくて、きっと当たってしまう。
思いが肥大しすぎてその苦しさに耐えられなくなる。
ふっと笑って、もう一度だけ、今度は薬指の先にわざと音を立ててキスをした。
手を取ったまま立ち上がって見下ろすと、俯き加減に横を向いていた。
都合良く風がその黒髪を浚ってほんのり赤くなった耳を露わにしてくれた。
…あぁ、こんなときに呑気なもんだ。
その横顔が愛おしいのだと、触れたくなるのだと、誰の目にも晒したくはないのだと思ってしまうのだから。
「シリウス、答えを、いい?」
「もちろん」
「――不束者ですが、よろしくお願いします」
「…あぁ、それは確か」
「えぇ、これが故郷の決まり文句なの」
まどろっこしいな、と言うとは笑った。私もそう思う、と目を細めて。あぁ、それだ。
「その表情が、好きだと思った」
「…え?」
「懐かしむような、慈しむような、きれいなそれを」
守りたいと、思って。守られるように、願った。ずっと傍に居て守ると、誓いたかった。
「卒業したら、と考えてたんだが、どうだ?」
「もうすぐね」
たのしみ、と嬉しそうな横顔に引き込まれるようにして、唇に触れるだけのキスをした。
距離はそのままで目を開けると、まんまるく目を開けている。思わず喉元でくつくつ笑ってしまった。
「…不意打ちだったもの」
「嫌いじゃないだろ」
「は、はずかしいの」
「誰も見てないさ」
「リリーたちが見てるわ」
「…はぁ?」
ほら、あそこ。彼女が指差す先を見ると確かに影を確認した。
あぁ、なんだか見覚えのあるような。思わず頬の筋肉がひくついた俺を見て今度は彼女がクスクスと笑う番だった。
「いい友達に恵まれたね」
「…まったくだ」
ため息たっぷりにそう言ってやると、いっそう楽しそうに笑う声が響いて、
なんとなく俺はあの沈んでしまった太陽に届けばいいのにと、ぼんやり思った。
ゆるやかな幸福