例えば、先生と出会う為に生まれてきただとか。 例えば、私が先生を好きでいる事が何かの必然だとしたら。 そうやって理由を付けていく事はとても簡単で、私はそう思う度に満足して、罪悪感を得る。一体何してるんだろうとは思うけど、 悲観的に考えてこの気持ちを無かった事にするよりはよっぽどマシだと思ってしまったんだ。決して今の状況に満足しているんじゃない、 苦しくて苦しくて堪らないって事を、ここに明記しようと思う。 先生は何も言ってくれない。 私が生徒で、彼は先生だから。幾ら私がその感情で苦しもうが泣こうが、先生にとっては面倒な事の一つでしかないみたいで。 心の何処かで声を掛けてくれたらなあと狡い事を考えた私に、誰かが優しい声を掛けてくれる事はない。望めば望む程遠くなって、見えなくなっていく。 先生は私の手の届かない場所に行くんだろう。きっと、今は背中合わせのこの距離も、消えてしまうもの以外の何物でもないから。 繋ぎ止めておけないのなら、消してしまった方が楽なのかな?不意にそう思っても、口に出せないのが私だ。ずるずると、重たい足取りと一緒に引きずっていく。私は、惨めにしか見えなかった。 『…俺何かに好き好き言うもんじゃねェぞ?』 初めて先生へと思いを告げた時、酷く落ち着いた様子で、真摯な声でそう言われた。 だけど私は子供だったから、先生はきっと照れているんだろうとか、そんな馬鹿げた事を考えていて。 それでも好きと伝え続ければ、先生は何時もと変わらない横顔のまま、私へと告げた。 『お前が先生の事想ってくれてんのは、嬉しいけどよ。』 『じゃあ、』 『でも、俺から好きとは言ってやんねェ。』 先生は、私に優しい嘘をついたんだ。 私が可哀相だったから、私が傍にいる事を許してくれたんだ。 きっとあの状態では退くにも退かない私を見兼ねて、何時か諦める時が来るだろうと思って。 だからあえて曖昧なぼかし方をして、私が傍にいる事も、勝手に好きだと告げる事へ咎める素振りも見せなかった。 結果的に生まれたその答えを、私は何度も何度も反芻する。反芻しては苦しくなって、どうしようもなくなった。 「…先生、」 「ん?」 何時も先生のネクタイは、よれっとしていて。指先でそれを私が示せば、先生は私の指先を辿ってそのネクタイへと辿り着いた。 浮かべた軽い笑顔が、好きで好きで、仕方ないだなんて。言ってあげない、もう先生には、言ってあげないんだから。 「いっつもだらし無いですよ、たまには綺麗に結べば良いのに。」 「そりゃあお前、あれだよ。俺に毎朝ネクタイ結んでくれる可愛い奥さんが出来たら、先生のネクタイだらし無いなんて言えなくなるぜ?」 その役目は、私の知らない誰かにあげてしまうの? そんな汚い考えが、黒くてもやもやとした気持ちが、浮かんで消えてくれない。 どうしようもない私は下手くそな笑顔を浮かべては、先生の真似をするように笑った。指先が、かじかんだように動かなくなった。 「…そう言ってもよォ、そろそろ年貢の納め時っつーか、格好つけてる場合じゃねェよな。」 同意を求めようとした先生が、何ら変わらない表情で私を見る。 だけどすぐに目つきが変わって、酷く驚いたような目をしながら言葉を失った。 初めて見る私の姿に、少しはびっくりしたのかな。脳の隅でそんな事を考えながら、私は泣いた。 絶対に泣くつもりじゃなかったのに、これ以上困らせるつもりも、無かったのに。 零れた涙を無理矢理拭いながら、苦し紛れに先生へと告げた。 「…突き放せば、良いのに、」 「はあ?」 「嫌いって、言ってよ、」 何言ってんだと視線で宥められても、私は止めなかった。 「そうしたら、もう、先生の事諦める、から、」 もう二度と、好きになる事がないように。 先生が困らないように、私に優しい嘘をつかないように。 多分心の何処かで解っていた事がある。 私は酷く愚かな子供であって、先生は酷く残酷で優しい大人なんだって事。 先生の大人としての"嘘"が、どうしてこんなに苦しいんだろう。無理をさせている、困らせている。 私の気持ちが先生を悩ますものの一つでしかないのなら、もう私はそんな気持ちなんていらない。いらないんだよ。 「もう、嘘つかなくたって、良いよ。」 私は、もうすぐ大人になる。 この学校を卒業して、歳を経て、先生と同じ場所へ行くから。 あの時はきっと夢を見ていたんだって、そう言い聞かせる為に。 あの日先生がくれた優しい嘘も、大人としての優しさも、全部忘れてしまうよ。人間なんて、そんなものじゃない。 いっぱい困らせてごめんね。悩ませてしまって、ごめんね。 そう言いたかったはずなのに、どうして私は何も言えないんだろう。自分でこんな事を言っているのが、こんなにも苦しいだなんて。 はっきり言って惨めでしかなかった。自分が馬鹿みたいだった。何でもっと早く気付いて、先生を手放してあげられなかったんだろう。 ねえ、解ってる。その答えは、私が一番良く解ってるんだ。 先生はじっと私を見つめたまま動かなくなって、不意に何かを噛み締めるように目を細めた。 泣きじゃくる私はどうしようもなく手に負えない子供で、先生は現実を良く知っている大人で。 見えない壁があるような錯覚に陥った私は、哀しくて、哀しくて。押し殺した泣き声が、涙と一緒になって零れ落ちた。 「……よくもまァ、おめおめとそんな酷い事が言えるよな。」 しみったれたようなそんな声色で、先生はぽつりと呟いて。 「何でわざわざ嘘つかなきゃならねェんだ?」 先生の、言っている意味が良く解らない。その真意を問う様に私が疑問に表情を深めてみれば、先生は薄く笑って、 子供のように涙を流す私の頬を指で撫ぜながら平然と言ってのけるから。 「どうしてくれんだよバカヤロー、折角有りっ丈の理性で頑張ってたってのによォ。」 ねえ、嘘だよ。嘘って言ってよ。 じゃないと、馬鹿な私は勘違いして、勝手にその言葉の意味を解釈してしまうだろうから。 そんなに優しい顔で笑わないで、頬に触れないで。酷い、先生は酷いよ。狡くて、残酷で、こんなに沢山、泣かせたんだよ。 何度も何度も、私は首を横に振った。それは違うと否定して、拒絶した。 それなのに先生は何も言わないままで、泣き続ける私を見つめていて。 それがどうしても納得いかない私は、首を縦に振ってしまえば楽だって言うのに、震える声で言うのだ。 「っ、嘘だ、」 「嘘じゃねェよ。」 「先生は、嘘つきだもん、」 そう反論した私へ、何故だか先生は妙に勝ち誇ったような顔をする。 ねえ、そんな顔しないで。お願い。これ以上好きになってしまったら、もうどうしようもないじゃないか。 「…俺から好きとは言ってやんねェ。だっけか。」 何て狡くて、残酷で。何て愛しい人なんだろう。 「悪ィな、一個だけ嘘ついちまった。」 (突き放してはくれなかった)(私に、好きだと呟いた)) 沢山の愛と、日ごろの感謝をこめて! 20110811 |