いつもより遅く目が覚めた朝、見慣れない時間を示す目覚まし時計をぼんやり見つめながら着替えを済ませた。ここのところ仕事でミスが続いたためか、少し休めと上司に説教まじりに言われ本日は昼からの勤務になった。こんなの初めてだ。昨日怒られたばかりでは、次の日の仕事が朝からだろうが昼からだろうが嫌なもんが嫌であることに変わりない。こうも雨が続いていてはやる気も出ないしなんか体調も悪い気がしてくるし…。どんどん気持ちが下降しているのを感じ、いかんいかん、と頬を叩いた。痛い。ハァ、憂鬱だなあ。梅雨空に向けてため息を吐いても雨雲はどんより漂うばかり。天候だけはどうしようもない。
雨に足元を汚されつつの出勤途中、何とはなしに顔を上げるとしょんぼりした様子でパチンコ屋から出てくる姿が見えた。どうやら傘が無いようで、天を見上げて舌打ちをかましている。今日はまた一段と髪の毛のボリュームがあるように見えて思わず笑った。荒んだ様子の銀さんはそのまま歩き出してしまったので、思わず駆け寄って傘を差し出していた。何してんだろう、と思いつつも、なんかちょっと元気もらったし、わたしの仕事場すぐそこだから、とかなんとか言って走って逃げた。目をまん丸にしてこちらを見ている銀さんと一瞬目があったが、なんだか見ていられずすぐに逸らしてしまった。嘘はついてない、嘘は。走ったらすぐだ。
珍しく朝早く目が覚めたもんだからなんだかいける気がして、懐を豊かにしてくれるはずの機械と向き合っていた。ハズだったが、気づけばこのジメジメしてじっとり暑い季節に似合わぬほどの極寒を手にしていた。風邪ひいちまうぜこんなの。しかも外に出れば朝は降っていなかったはずの雨。踏んだり蹴ったりとはこのことか、と舌打ちをこぼす。いやまァ、パチンコですっただけなんだけど。もう帰るだけだし今日は(今日も)仕事ねェしどうでもいいや、とそのまま家へ歩き出すと突然胸元に何かがぶつかった。細ェ腕。その主を目で追うと、傘の下に見慣れた姿が見えた。「なんか元気もらったからこれ使ってわたしすぐそこだから」と謎のセリフを口早に吐き俺に傘を押し付けるや否や、その女は走り去った。なんのことかさっぱりわからず混乱している間に、その姿は建物に吸い込まれた。アイツあんなゴツい建物で働いてんのかよ…。そりゃあんな顔色になるわ。つーかアイツの腕あんな細かったっけ?
おかげさまで心中に降る極寒の雨とは違って体は濡れずに万事屋に帰り着いた俺は、ところがどっこい、新八と神楽に「なんですかそのおしゃれな傘は」とか「どこで盗んできたアル警察行けヨ」とか理不尽な批判を受けた。あいつら俺のことなんだと思ってんのマジで。いい加減にしないと給料払わねーぞ。…まあそんなちゃんと払ったことねェけど。
ダラダラとしながら時間を浪費し、ボンヤリ鈍い頭でふと考える。そういやアイツこの前風邪でぶっ倒れたときもあんな顔色してたな。そん時は仕事が忙しくてとかぬかしてたっけ。今日はなんであんな時間に出勤してたんだ…ちゃんと寝てんのかアイツ。といったところまで至ってから、俺はどこの母ちゃんだふざけんなと何故か苛立ち、もう読み飽きたジャンプを机に乱暴においた。新八が何か文句を言っているのを背中に受けつつ、生乾きのブーツを履いて、さんざ文句を言われたお洒落傘を手に外へ出た。あーあ、まだ降ってやがる。どうりで天パが暴れてるわけだ。これだから梅雨は嫌だっつーんだよ。あんな顔見ちまうしよ。
案の定今日も仕事ではミスが多発し、上司どころか同僚や後輩にまで心配をかける始末。なんかもうダメな気がする…わたしこの仕事向いてないんじゃないかな…って今更なにを。ひとつのことで引っかかるとずっとグルグル考えてから引きずってしまうのは悪い癖だ、と最近思い知った。いい加減切り替えて仕事を進めないと、下手したらクビになるんじゃ…そういえばこの前人件費がきついとかなんとか話してるの聞いちゃったしな…。
「さん」
「はい、なんでしょう」
「今日も大変そうだね、このあとご飯でもいかない?話なら聞くよ」
「いえ…今日はちょっと」
「なに?予定でもあるの?」
出た。怪物。と私は心の中で呼んでいる。最近同じ部署に異動してきた先輩で名前は忘れたがメンタルが怪物。なぜかわからないけれど頻繁にご飯に誘ってくる上、何度断っても全く諦めてくれない。思えばこの人がこうして誘ってくるようになってから仕事がうまくいかないような…いやそんな他人のせいにするのは良くない…いやでも…。と頭の中でまたグルグルと考えていたら、気づくと目の前に怪物の顔があって思わず仰け反り頭を強打した。痛い。まじで怪物許さんぞ、パーソナルスペースって概念をコンビニで買ってこい。…ああそういえば、銀さんはその辺が上手で心地いいんだよなあ、なんて昼間見かけた人を思い出してなぜだか目頭が熱くなった。なんでだろう、銀さんに会いたいや。
結局うまいことあしらえなかった私は、退勤後にも怪物にねちっこく誘いを受け続け、同僚は助けてくれず哀れみの合掌を向けてきた。建物の出口についたので「それではお疲れ様でした」と顔も見ず業務的な声を残し、怪物が誘う方とは違う方へ向かおうとすると腕を掴まれた。いやいやいや本当に勘弁してくださいよ…こちとら明日も仕事なんですよ、とため息をつきそうになったが怪物も仕事でした。
「俺ならさんのこと元気にしてあげられると思うんだ」
「いや、そういうのは今は間に合ってるので」
「そう?すごく辛そうで見てられない」
じゃあ見ないでくださいますか、と心の中で吐き捨てながら返事に困っていると、響いたと勘違いしたのかより一層力を強めて引っ張られた。嗚呼もうなんかどうでも良くなってきたな…、なんて投げやりになって目の前が滲んだ、とき。
「お前ェのせいでより一層辛そうになってるように見えるんですけど?その手離してもらえます?」
アチョー!と気の抜けた掛け声で私と怪物を繋いでいた腕を叩いた人。あ、天パがまた増量してる。くす、と笑ってしまったのがバレたらしく、銀さんはグルリとこちらに顔を向けて顔を歪めた。
「お前ね人の顔見て笑うって失礼だと思わないの」
「ううん違うの、また出血大サービスだなって思って」
「頭見ていうセリフじゃないよねソレ、より一層失礼だろ」
銀さんはひとつ私の頭を叩くと腕を引いて、私がさっき向かおうとした先、万事屋の方角へと歩き出した。わざとなんだろうか、怪物が掴んでいた所を、怪物なんかよりずっとずっと優しくあったかい手が覆っている。あ、私が貸した傘だ、と銀さんがさしていたそれに気づくと同時に引っ張られ、私はまた笑ってしまって。結局それもバレて銀さんはぶつくさ文句を言った。
「お前そういうとこがああいうの引き寄せる原因なんだよ」
「えぇ、なにそれ」
「そうやって笑うから、おっいけるな!って勘違いして落とそうとネバネバ粘るねちっこい野郎が釣れちゃうっつってんの」
あはは、と笑って返すと笑い事じゃねェだろうが、と銀さんは立ち止まった。
「適当にこなせねェのに自分で抱え込むからいらねぇストレス溜まってんだろ」
そういうと銀さんは顔色がさらに悪くなってるとかちゃんと飯食ってんのか、とかそんな薄着でまた風邪ひくぞとか、矢継ぎ早にお説教を始めた。私はそれでも離さない手の温もりが嬉しくて、お母さんみたいだななんてこと思って顔がふやけてしまって。
「だいたいなんのためにちゃんは万事屋銀ちゃんに通ってるんですかァ?飯食ってガキ共と遊んで話して、スッキリしてけよ」
「………依頼料、とる?」
「あー、まけてやるよ」
「あぁ、とるんだ…」
「まァ出世払いで許してやらァ」
ふふ、とまた笑ってしまう。銀さんはいつも良いことを言ってくれたと思えば変なことを言ってバランスをとる。変な人。そしてすごく、優しい人。
「…そんでそのまま寝て起きて仕事行って、いっそのこと毎日帰ってくりゃいいんじゃねーの」
嬉しくてつい腕をブンブン振っていたら、そんなことを再び歩き出しながら銀さんが言うモンだから。昼間の銀さんよろしく今度は私の目がきっとまん丸になっていたと思う。
「……それは、つまり?」
「いやわかれよ」
「横暴だな…ちゃんと言ってくれなきゃ仕事で疲れた頭じゃわかりませーん」
「重役出勤してたくせによく言うなチクショー」
「銀さんこそ仕事休みだったくせに」
「は?なんでわかんの、なに、エスパーか何か?」
あーあ、と銀さんの吐いたため息は、昼間のそれより全然明るくて。気づけば雨は止みかけていて。
傘が一本なのは、別に迎えに来たとかそう言うんじゃなくてたまたま通りがかっただけだから。なんて言いそうな銀さんのことだから、相合傘ができて嬉しかったよ、なんて恥ずかしいセリフはしまっておくことにするね。
報酬は君の笑顔で
「まーたニヤけて今度はなんですか」
「銀さんこそ」
「俺ァ、落とせると勘違いして粘るねちっこい野郎だからニヤけてていいの」