目が覚めて灰色の天井が視界いっぱいに広がった。
重たいまぶたをこじ開ける気にもならず欲望のままもう一眠り、と片足を夢の世界に踏み出したところで、
柔らかくわたしを呼ぶ声がした。
少し焦ったようにも聞こえる、何度も名を呼ぶその声の主に返事はせずに、
なんだかおかしくて、くすりと笑ってから残ったもう片足も夢の世界へ突っ込んだ。
「そういう夢を見た」
「…は?」
「グレーから、白じゃなくて、黒でもなくて、カラーでもなくて。なんとも言えない色になる夢」
「…よくわかんねーけど、」
いい夢だったわけね?
困ったように眉を下げて聞く銀さんは、それでもどこか嬉しそうだった。
きっとわたしの顔を見て答えはわかっているんだ。うん、と頷くと、わしわし頭を撫でてくれた。
「変な夢ばかり見るんだけど、あんまり思い出せないや」
「変な夢っつーのは覚えてんの」
「うん。なんか…うん、もやもやするから」
人が死ぬ夢を見ることもある。殺されているのを見捨てる夢を見ることもある。
大抵は大粒の汗を流して、目からも大粒の涙をこぼして飛び起きる。
不思議なことにそういうときは大抵銀さんも起き上がる。
ぽろぽろ瞬きをしつつ目から涙を落とすわたしを、頭を撫でたりだきしめてあやしてくれたりして、
落ち着いたら銀さんの布団に招いてくれる。銀さんはあたたかいからよく眠れる。
他にはそうそう覚えてられるほどインパクトのある夢ばかり見るわけでもなく、
もやもやとした不快なものだけを残された日も多々ある。
だけれど、今日のは多分いい夢だ、と思う。たいして思い出せやしないがもやもやもしないし、
ぼんやりしあわせな気分だった気もする。昨日の夜何かいいことあったかな、と振り返っても特に変わりはない。
いつか夢占いでもしてもらえたらいいのに。タダで。
「俺ァ今日でっけーパフェに追いかけられる夢見たわ」
「…なんだそりゃ」
「最初はよー普通に食ってたんだけど、いつまでもなくなんねーし、つーかでかくなってね?って気づいた頃には、俺は逃げてたし、追いかけられてた」
「よくわかんない夢だね」
「だろ。まァそんなもんだ、夢なんつーのは」
わしわしと頭を撫でる銀さんの手のひらは、まだ触れていないけどきっとあたたかい。
いつもこのぬくもりに安心する、けれど、じゃあ銀さんはどうなんだろうか。
銀さんもたまに魘されているのを知ってるし、大粒の汗やそれに混ぜて涙らしきものを流してるのも、知っている。
ただこの人はあまり知られたくないみたいだから気づかないふりをすることも多い。
すぅすぅ寝息を立てて寝たふりをしていると、小さな声で一度だけ銀さんはわたしの名前を呼んだりする。
それにうぅんと唸ると、ぽんぽんと頭を撫でられて、おしまい。
わたしはいつの間にか夢の世界へダイブして、気づけば朝がきていて、襖を開けて台所へいくと銀さんは飄々といちご牛乳を飲んでいる。
おはようといえばおはよーさん、と何事もなく返してくれる。
それじゃあ、銀さんはどうやって眠りにつくんだろうかと、思った。
怖い夢や、嫌な夢や、変な夢を見たときに、飛び起きたときに、わたしは寝たふりをしていて、実は怖がりの銀さんはどうやって。
「あのー、ちゃーん」
「なあに」
「近いかなァ?って」
「あぁ、ごめんね」
目と鼻の先に銀さんの横顔があった。危うくその死んだ目に吸い込まれるところだったらしい。
まあそれもいつかはいいかなと思うけど、いまは、そうではなくて。
とりあえず飲み物とお茶請けでも出してゆるゆると聞き出そうか、と台所に向かおうとしたら、
ぐぇ、と腹の痛みと共に情けない声が出た。
「…どしたの銀さん」
「どこいくの」
「どこって…台所に。いちご牛乳とか、お菓子とか取りに」
「あーそう」
それからわたしのお腹に回された腕はぱっとなくなって、銀さんもどこ吹く風と違うところを見て表情が伺えなくなった。
はて、昔見た変な夢でも思い出したんだろうかと考えながら冷蔵庫から冷えた牛乳パックを取り出す。
ずいぶん軽いから新しいのがいるだろうけど、ストックがなかった。昨日まで二本くらいあったと思ったんだけど、おかしいな。
「銀さーん、いちご牛乳たくさん飲んだー?」
問いかけた私に返事はなかった。これは図星だろう、と考えるのをやめて残りすくない銀さんの好物を仲良く分け合った。
かなり少なくなってしまったけど、まぁ仕方ない。ついでにお茶請けを探したけれどろくなものがなくてやめた。
そろそろ買い物にいかなきゃいけないなぁと時計に目をやると、もう日も沈みそうな時間帯。明日やろう、明日。
「銀さーん、」
お盆も必要ないだろうとコップを手にもって居間に戻ると、ソファで寝転ぶ姿が目に入った。
目元を腕で隠して、片足は背もたれからこぼれている。そんな疲れてたのかな、と向かいのソファに腰掛けると名を呼ばれた。
それは、どこか懐かしい気がして、ひどく私の頭に響いた。
「、」
手招きする大きな手はきっとあたたかい。隠された目元はきっと気だるげで、瞳に生気はない。
その腕はたくましいから、強く抱きしめられて苦しい時がある。
「(あぁ、そうだ)」
今日見た夢だ、銀さんは上ずったような声で、だけど柔らかいそれで私の名を、何度も何度も、呼んでいた。
そのまま眠りについて、朝がきたと思っていたけれどその夢には続きがあったんだ。
「銀さんは今日、泣いてた」
「…はァ?」
「ぽろぽろ、涙をこぼしてた」
「いやいや泣いてねーよなんだその偽りの記憶」
「夢の中で、泣いてた」
たくましい腕をあげて、銀さんは睨みつけるような目つきで私を見ていた。
それから少しして、一瞬だけ、さみしそうな、苦しそうな、そんな顔をして、またその腕でその目に蓋をしてしまったのだけれど。
「夢だろ」
「夢だけど、泣いてたよ」
「あっそ、夢占いでもしてもらえば」
占い。どうやって尋ねればいいんだろう。好きな人が泣いている夢を見ました。
なにかの暗示だったりするんだろうか。大事なことだったり、するんだろうか。
「銀さん、」
「銀さんは寝ました」
「起きてるじゃん」
「ぐー」
「子供か」
目元を隠してしまった銀さんは、ついでに背もたれの方に顔を向けてしまった。
落ちるんじゃないかと思ったけどうまいこと足をひっかけているらしい。
丸まった背中はいつもより頼りなく見えたり、ふわふわした髪の毛もしょんぼりして見えたりした。
この人はいつも知らないうちに泣いて、そしてなかったことにしそうだ。
実際何度もその目にあっている。実に達者な口に言いくるめられて、わたしはいつも言葉に詰まってしまう。
だけど今は。今だけは、私が優勢だ。
「もっと思い出した。ちゃんと、思い出した」
「……」
「一度記憶の紐を引くとほろほろこぼれてくるみたい」
くすりと笑う自分。何に笑ったんだっけ。そうだ、始まりは今日見た夢の話だった。
それは灰色から、なんとも言えない色に変わる、そんな夢だった。
病院の天井のような模様、視界いっぱいの灰色。
やけに重たいまぶたに逆らうなんてことはしないで、おとなしく欲に従おうとした。
それであぁねむいと思った時に、声が、銀さんの声が、聞こえたんだよ。
「私の名前を呼んでた」
「何度も、呼んでた」
私はそれがおかしかった。銀さんがそんなに私の名前を呼ぶなんて変なの、って笑った。
焦らなくてもいなくなったりしないよ、なんてわたしまで変なことを考えながら意識を遠くに投げ捨てたんだっけ。
「…お前が、」
「うん?」
「死ぬ、夢を見た」
「そっか」
「…そんだけ?」
ぐるりと首を回してようやくこちらを見てくれた銀さんの目は少しうるんで見えた、なんて希望混じりだろうか。
あくびしたんだと言うだろうか。そんだけだよ、と答えるように頷いて、わたしもあくびを一つこぼした。
「私がいなくなると思った?」
「…まーな」
「残念でした、私は結構図太いのです」
「知ってるよ…」
「…それと、好きな人が泣いてるのをほっとけるほど大人じゃないの、」
ぐぇ、と私よりも幾分カエルの潰れた感じを増した声が上がったのは、私が銀さんの上に飛び乗ったからだ。
お互いにきっと、ゆるゆるの視界で相手を見ているんだと思うとまた笑えてくる。
お前のツボはどうなってるんだと銀さんに呆れたように言われたこともあったっけ、ね。
「お前の名前を呼んでた時は、夢じゃねーよ」
少なくとも俺はな。
それから銀さんは私を引き寄せて、もう少し詳しく夢の話をした。
パフェに追いかけられる夢は、私も一緒に逃げていたらしい。
最初こそ面白おかしく思えたが、私が転んで足がもう動かないとなった時に、パフェは突然その姿を変えたとか。
銀さんの、よく見てきた仲間たちの姿に。お前だけしあわせになるのか、お前に大切なものはもう守れやしない。
そう言ってた、と私の肩に顔をうずめて静かにつぶやいた。
「…もしかしたら、私はその夢の続きを見ていたのかもね?」
そうしたら私はしんでないってことになる。それに銀さんは私を守れない、なんてことはない。それはなんでか、っていうと、ね。
すぐ隣にあるふわふわの髪に唇で触れて、夢の終わりの話を始めよう。
「あのね銀さん、最後に一つ、これでおしまい。思い出したよ」
ラストシーンは君と
"なんとも言えない色"は、銀さんの髪の色そのものだったんだよ。
「銀さんが私を引っ張り上げてくれたから、今ここにいられるよ」
「…おおげさなんだよ、ばーか」