少なくとも私たちは、道端でキスをするような恋仲ではなかった。
休みの日には天気がよければ出かけるし、たまの休日ならぬたまの仕事の日は
私は頻繁に傷だらけで帰ってくる人を慣れた手つきで手当する。
冷蔵庫にアレがねェと言われればその日のうちにいちご牛乳を買い足すし、
時々ジャンプが土曜に出るとき教えてあげることもある。
要は、たいしてコミュニケーションはないがそれなりにうまくいっているということ。
「ー、あの、アレ取って」
「…これ?」
「おォ、それそれ」
ソファに沈んでジャンプを読んでいた銀時から顔も見ないでお得意のアレ指示がきた。
とりあえず耳かきを渡してみると正解だったらしく、ティッシュも追加して渡した。
今のはなんとなくの勘だったが、勘であってもだいたい外したことはない気がする。
向かいのソファに自分もぼふんと沈み込むと、夕方のお日様がよく当たった。
太陽の匂いを吸い込んだそこはふかふかではなかったが、あたたかくて少し遅い昼寝にはちょうど良さそうだ。
「なァ」
「…んー?」
「変なこと聞くけど」
「なぁに」
温もりに包まれてうとうとしていたところに、もうずっと聞きなれた声が聞こえた。
ごそごそとソファの上で寝返って天井を見つめる形になると、ずいぶん呼吸が楽になる。あ、寝そう。
「お前、いま幸せ?」
危うく目を瞑りかけたところで、変な問いが投げかけられた。
それはまさに、忠告通りの変な問いだった。
幸せ、なんて銀時らしくない言葉なんだろう。ついぱちぱちと瞬きを繰り返した。
一応ちゃんと答えようか、と考えてみることにした。
私は"アレ"という言葉ひとつでいちご牛乳か耳かきかの判断はつけられるし
仕事の傷を手当するのに、ある意味背中を預けてもらえてるわけだ。
頭に浮かんだことを整理してみたが、我ながらのんきな答えにしかならなそうで、つい笑みがこぼれる。
「銀時のそばで、笑っていられるから幸せなんじゃない?」
「…なんで聞くんだよ」
「だって、幸せなんて知らないしなぁ」
問いかけるように返した答えでは少しばかり不満だったらしい。
それでも私はそもそも幸せの定義がなんなのかさえ知らない、
だけど幸福な気持ちはいつだって得られる。と思っている。
たとえば美味しいものを食べたとき。
たとえば夕焼けが綺麗だったとき。
たとえば野良猫がなついてくれたときや、たとえばお腹を抱えて笑える話があったとき。
こんな日常にありふれたことが私をとても幸福な気持ちにさせる。
他にもあっただろうか、と思いを馳せると、あぁ、そうか。
「あ、」
「…なに」
「銀時と手を繋ぐと幸せな気分になる、かも」
買い物帰り、仕事帰りに会えたとき、休日のお出かけ、
それに雷が怖くて、お化けが怖くて、そんな理由で手を繋ぐ。
何気なく差し出される大きくて無骨な手に、何気なく手をのばしてその温もりをのうのうと享受する。
自分よりずっと大きい手に包まれるのは安心するし、その温もりに心がぽかぽかする。
そのとき横顔を見上げてもいつも同じでやる気のない顔だけど、
手を繋いでいると愛おしく見えることも、あったりなかったり。
「あー…じゃァ、手ェ繋ぐか」
「……いま?」
「今」
「…な、なんで?」
「だってオメー、それで幸せな気分になるんだろ」
銀時の言いたいことや考えてることがわからなかったのは中々久し振りかもしれない。
寝転んでいた身体を起こしてソファに座り直す。
改めて考えてもやはりわからず、つい眉根を寄せて首をかしげると、ハァ、とため息を吐かれた。
…いったいなんだっていうんだ。
「言わせんなよ、恥ずかしいだろーが」
「だ、だから、何?どういうこと?」
いやお前まじでか…。
そう言うと銀時は、ソファに沈めていた体を起こして、がっくり肩を落としたまま考え込んでしまった。
困った、何が言いたいのかさっぱりわからない。
そりゃあ手を繋げば幸福な気持ちを得られるような気がする、そうは言ったけれど
それは何気ない瞬間のそれのことで。今改めて手を繋ぐなんて、正直恥ずかしいし銀時らしくない、と思う。
それに幸せ云々の話からまさかいちご牛乳にも耳かきにもジャンプにもいかないだろう。
だいたいのことはわかっているつもりだったけど、まだまだみたいだ。
黙り込んでしまった銀時に何か言おうと、頭の中で幸福云々に近からず遠からずな言葉を探し回っていた。
「俺は、」
うまい言葉が見つからなくて諦めてぼんやり時計に目をやった。
あぁもう五時のチャイムが鳴る、そんなとき銀時の声がして視線をやると、まだ俯いたままだった。
「…いいか、一回しか言わねーぞ」
「うん」
「俺は、お前を…、幸せにしたい、わけだ」
「……」
「…オイ頼むなんか言え」
「あ、いや、」
「っ、おま、泣くほど嫌か!」
ぼんやり、そんな表現がぴったりだろう。
ぼんやりと、銀時の言葉が頭の中に響いて、
五時のチャイムが鳴って、夕日が部屋全体を、ぼんやり、明るくして。
泣くほど、その言葉につられるように目元を指でなぞるとぼろぼろと涙がこぼれた。
なんで泣いてるんだ、自分でもわけがわからない。
とまれとまれとまれ、そう思っても到底止まりそうになかった。
まさか銀時がそんなことを言うなんて、そんな風に考えていたなんて、なにも知らなかった。
言葉を返したいのに涙が止まらなくて、嬉しいのか嫌なのか、伝える術がない。
そんなのはどう考えても前者なのに目の前の人は後者だと思ってるらしく、修正する言葉も出ない。
顔を手で覆っているといよいよ嗚咽がこぼれてきた、なんでこんなに泣いてしまうんだろう。
これじゃあまるで、ずっとその言葉を待ってたみたいだ。
まるで、幸せにして欲しいと、思っていたみたいだ。
「あー…その、お前が嫌でもよ、この際だから聞くけど」
まともな言葉にならない嗚咽の代わりに首を横に振る、嫌じゃないって仕草だと伝わればいいのに。
呼吸が落ち着いて一息吐くと、いつの間に隣にいたのか、頭にそっと優しく手がのった。
それがゆっくり頭を撫でて、髪を梳いて、また撫でて。
ゆっくりゆっくり繰り返されるそれに目を閉じると、最後の一粒らしい涙が目尻から落ちた。
「なんか、欲しいもんとかねェの」
「…いや、ずっとお前に色々任せっきりだったし?たまにはいいかと思ってよォ、」
…考えたんだけど、わかんなかったんだよ。
なにか大切なものをなくしたみたいに、悲しい声でそう言うから
私はようやく顔をあげた。きっとひどい顔をしてる。
見上げた先の顔は眉が下がって、いつにも増して情けない顔になっていた。
それでも、口元がゆるりと優しい弧を描いていた。
そんなあなたに伝えたい言葉、欲しいものは、そうだな、今はこれでいい。これがいいな。
「ぎんとき、」
「…なァに」
くだらない愛を頂戴
(永遠ではなく安心でもなく)(ただ、愛すべきくだらないそれが欲しいの)
少なくとも私たちは、道端でキスをするような恋仲ではなかった。
休みの日には天気がよければ出かけるし、たまの休日ならぬたまの仕事の日は
私は頻繁に傷だらけで帰ってくる人を慣れた手つきで手当する。
冷蔵庫にアレがねェと言われればその日のうちにいちご牛乳を買い足すし、
時々ジャンプが土曜に出るとき教えてあげることもある。
要は、たいしてコミュニケーションはないがそれなりにうまくいっているということ。
つまり、大したコミュニケーションの中で
ものすごい物語が生まれるかもしれない、ということ。
「嫌なわけ、ないでしょ」
「泣いてっからてっきり」
「すき、だよ」
「あー………、俺も、好き。」