ちょっと出かけてくらァ、
玄関でブーツをはきながら言うと、聞き飽きたとでも言いたげな呆れた声色の返事がきた。 いいかげん仕事見つけてきてくださいよー。今日負けたら銀ちゃんご飯抜きヨ! 大した期待もしてねェような新八の声、冗談とは到底思えない神楽の忠告を背に受け、万事屋を出た。
…あァ、またパチンコじゃねェって言うの忘れた。


今日もまた一段と寒ィなァ、からからに晴れた空を見上げて思う。 こんな日はファミレスやらデパートやら、それこそパチンコだとか、少しでもあたたかい場所に逃げ込みたいもんだ。 だがこのどーしようもねェ足がたらたら歩いて向かうのは、入り口は開けていて冷気は巡りまくり、 それどころか外にも長椅子が置いてあるような、ごくありふれた甘味処。


ここ二週間ほど通いつめているせいか、胸に忍ばせた財布は今の気候より随分レベルアップした極寒を迎えており、 仕事の予定も当分ないためいわば大ピンチ、家計は火の車、三食豆パンものだ。 新八や神楽を怒らせるどころか呆れさせてまで、豆パンで腹を壊してまで、 それでもなお通いつめるのには、彼らには言えない理由があるわけで。

糖尿病寸前がなにしてんだと怒られるのを危惧してではもちろんない。そんなことはもう心配しちゃアいない。 要は、ある日突然そこにあった大切ものがなくなってしまうのが怖ェだけだ。 いや、実はそんな大層なことでもねェが、どうにも危なっかしいのだ。通いつめる甘味処の看板娘、は。


「あ、銀さん。こんにちはー!」


店先の長椅子に座りくつろぐ奴を横目に暖簾をくぐって、すぐそこにいた看板娘によォと声をかける。

今日はなににしますかー?
メニューを手渡して彼女はにこにこ笑う。あァ今日が始まった、そう思うわけだよ。 これからなにがあるわけでも、もちろん仕事なんてあるわけもないのだが。


「あー…、いつものやつ頼むわ」
「はーい、銀さんスペシャルですね」


ふふっと笑うと、開きもしなかったメニューを俺の手から受け取って店の奥へ消えて行った。

適当に席につく。相席の親父は三日前ほどに会った気がする。 二週間も通いつめればいらねェ顔見知りも増えるもんだ。


「おォ銀さん、どーだい調子は?」


にやにやとどこかむかつく笑みを浮かべ、小指を立ててそう言う。 昨日も違うおっさんと、初めて会った土方系の兄ちゃんに同じことをやられた。なんだこいつらグルか? 片眉を吊り上げて舌打ちをこぼすと、だっはっは、親父は豪快に笑う。


「はやくしねェと取られちまうぞ、ちゃん!」
「あァん?うるせェんだよ、ジジイは黙ってハゲ散らかっとけ」
「なァにを若造が!がっはっは!」


青いねェ、ふと遠い目をした親父に嫌な予感を感じて距離を取る。 案の定勝手に自分の青春を語り出したもんだから、とうとうため息がこぼれる。 その瞬間、丁度に看板娘、がタイミングよく運んできてくれる、もんだから。 中二臭ェとわかっちゃいるが胸は高鳴るわけだ。


「はい、どーぞ。銀さんなにかお悩みですか?」
「そうだなァ、もうこのおっさんがうっとうしいったらねェよ」
「あらー、きっと銀さんにかまってほしいんですよ」
「え、いい年こいて気持ち悪ッ!」


あはは、口元に手を添えてからから笑い声を響かせる姿、を初めて見たのは二週間前だ。





珍しく入った仕事でたまたま甘味処の前を通った。 おいアレ食ってから行こうぜ、と新八たちに言うとすぐに殴られたのだが、 そんな痛みが吹っ飛ぶような笑顔、声がそこにあった。


「いらっしゃいませ!お団子一つ、いかがですか?」


にっこり笑って差し出されたそれは、ひとつひとつに楊枝がさしてあって。 開いたばかりでサービスでもしてるのか、今日がたまたまそういう日なのか、それともこの子の気遣いか。 このうちのどれなのかどれでもないのか、それさえわからなかったが、ただひとつわかったこともあった。 それはこの子の笑顔が、決して俗に言う"営業スマイル"なんてものじゃアないってこと。

初めて見る顔で、話したことも普段の姿を知っている、なんてこともない。 ただその表情は次から次へと道をゆく人々に向けて変わり、笑ったり、少し落ち込んだり、喜んだり。


「銀さーん、食べないんですか?」
「ただでくれるみたいアルヨ」


あ、これおいしい。本当ネ。
そんな声が聞こえた気がした。気がしただけで本当はもっと違う言葉だったかもしれない。 だが何分、まるで、頭に入らなかった。目の前の団子に心を奪われたわけではない、食べたくないわけではない。 それでもどうしても動けそうになかったのは、その笑顔で、十分だと。そんなことを思ってしまったから。


「お団子はお嫌いですか?」
「ちょっと銀さん…!どうしたんです?」
「だんまりネ、お腹壊したアルカ?」
「ッ、あァいや、嫌いじゃねェ、つーかむしろめちゃくちゃ好物。頂くわ、」


どうか震える指先に気づかないでくれ、どうかそんな、悲しい顔をしないでくれ。 ようやく動いた体に、ひとつ団子を放り込んだ。ゆっくりかみしめたその味はあまり思い出せない。 が、確かに柔らかさ、温度、バランス、色んな状況がいい感じに重なり合っているのはわかった。 要するにすげェ美味かったっつーわけで。


「…これ、美味ェな」


つい口元が緩んでしまうほどの美味しさだった。 顔気持ち悪いですよ、と笑う新八や、私もう一個!と皿全部の団子をたいらげようとしてる神楽の頭をはたいて ごっそさん、仕事場へと向かった。あんなにいい気分で仕事に向かったのは初めてだった。


その日の帰り道、夜も遅くなり新八と神楽をお妙の家に泊めさせた。 仕事が予想以上にきつく、万事屋につくまで起きていられるとは思えなかった。 これも天の思し召しかね、なんて自嘲するような笑みを浮かべ、同じ道を帰ることにした。

あの甘味処、夜も空いてりゃいいのになァ。 そう思うほどきれいな月が夜空に浮かんでいて、なぜか彼女の笑顔がふとうつって。 いやいやないないないない、ぶんぶんと手を顔の前で振っていると、小さく、聞き覚えのある声が聞こえた。


「――っ、ひとを呼びますよ!」
「まァそう警戒すんなよ、お茶にさそってるだけじゃねェか」


下卑た表情を浮かべた野郎どもに囲まれる華奢な姿を見つけたときには、もう体が勝手に動いていた。 路地裏でもめ事なんてそう関わりたいことでもねェ、が、 こんな時間に平和に茶ァ飲もうなんて誘う奴にまともな奴はいねェ。 彼女の手を取ろうとした汚い手めがけて木刀を投げ込んだ。


「ッいってェな!誰だ!?」
「…汚ェ手で触ってんじゃねェよ、鏡見たことあんのかてめェら」
「なんだァ、お前…?」
「茶ァなら俺んちで飲もうや、とっておきのやつ出してやるよ」


いちご牛乳って名前の茶でよけりゃァな!! 引けた腰で襲いかかってくる奴らのみぞおちにそれぞれ一発を決め込み、地面に臥した奴らにつばを吐いた。 それ茶じゃねェよ…、そんなうめき声が聞こえたのでつい、あァ?と襟元を掴み上げたがすでに意識はなかった。


「あ、あの…、ありが、とう、ございました」
「んん?…あ、あぁ、いや」


いちご牛乳を愚弄するか貴様ァァァ!とキレたくなった気持ちを抑えて、彼女に向き直った。 こんなたとえはどうかとも思うが、それだけで腹がいっぱいになるような、そんな笑顔はどこへやら。 血の気の引いた顔でカタカタと小刻みに震えながら、彼女は今にも倒れそうな様子で声を絞り出していた。

ぽんぽんと頭を撫ぜると、うつむいていた顔があがり目が合った。 と、同時に色味を失った唇が、あ、と開く。


「お団子の…、」
「…よーく覚えてんねェ、あんたも」
「あ、いえ…。え、あんたも、って…?」
「あァいや、なんでもねェ」


俺も一瞬視界に入っただけで彼女だとわかってしまったのだから、人のことは言えねェな。 なんて思ったことはもっと言えねェ、な。 気ィつけろよ、送ってくか?そう聞くと、ふるふると頭を振って彼女はほほえんだ。少し色味が戻ったみたいだった。 本当は送っていきたかったが、つい今日会ったばかりの野郎に家を知られるのも嫌だろう。 そうかい、じゃあな。ひらひら手を振ってその場をあとにすると、後ろから声がかかる。 よく響く、心地のいい、きれいな声、だ。


「あ、の!」
「ん?」
「あ、…えと、あ、甘いもの、お好きなんです、か…?」
「おォ、死ぬほど好き」


あんたのことも、な。とはもちろん言わず、言えるはずもなく。 胸の内にしまって、代わりに糖尿寸前らしいぜ、と言うと彼女はくすくすと笑った。


「元気がでたようでなによりだ」
「本当にありがとうございました」


ぺこりとお辞儀をして、彼女はまたほほえむ。まぶしくて目を細めた。 よかったらまた、来てください。お安くします。 照れたようにへにゃりと笑いながら彼女はそう言った。 可愛いなァと思ったことは覚えているが、ちゃんと返事ができていたかはまったく覚えていない。





銀さーん、不意に聞こえた声に我に返る。目の前で彼女の、の手がひらひらと舞っていた。 大丈夫ですか?と不安げに顔をのぞき込んでくるもんだから、つい後ずさってしまった。


「あ、ごめんなさい、」
「お、おォ、大丈夫、全然大丈夫だ」
「…青いねェ」
「うっせェ黙ってろ半端ハゲ!」
「だァれが半端ハゲだこの天パ!」


向かいの親父を蹴ってにお茶を頼むと、またあははと笑って奥へ入っていった。 相変わらずにやにや笑う親父も、隣の席のカップルも、すべてが憎たらしく見える。 その"初々しいねェ"みたいな目をやめろ!見守るな!


ちゃんもその気がねェってわけじゃあ、ないんじゃねェのかい」
「うるっせェハゲ本当に黙れ頼むから黙れ」
「まァまァ、応援してやるってんだ」
「それは頼んでねェ…」
「あの年頃の娘はなァ、頭でも撫でて笑いかけてやりゃアころっと落ちんのよ」


そんな簡単にいくわきゃねェだろ、これだから親父は思春期の娘に嫌われんだよ。 はぁと思い切りため息をつくと、これまたちょうど好いのか悪いのか、絶妙のタイミングでがやってきてくすくす笑っている。 元凶はおめェだよおめェ、のんきに笑いやがって可愛いなコンチクショー。

まァ頑張れや、今日が勝負だな! そう言うと親父は俺の肩をたたいて店を出ていった。 余計なこと言いやがって、が気にしてるじゃねェか…!


「あ、」
「…あ?」
「内緒ですよ、」


てっきり何のことか聞かれるかと思っていたが、予想に反して明るい声が響いて。 人差し指をたてて口元に持って行きながら、もう片方の手で皿を差し出す。あの日食べた、団子だった。


「…こりゃア確かに、今日が勝負だ」
「え?」


嬉しそうに首を傾げたを見て、つい決心が揺らぐ。 もしかしたらこの笑顔をもう見られなくなるかもしれない。 たったそれだけのことが今までのど元まででかかった言葉を何度も抑えていた、が。

細い腕を掴んで、、名前を紡ぐ。 それだけでみるみるうちに顔が赤くなっていく姿を見て、もう抑えられそうになかった。


「俺は、」
「今日…、午前中で、上がりなんです」


待っててくれますか?
へにゃりと笑った彼女は、確信犯か否か。





に臥す




(頭を撫ぜたその手の温もりが)(私の心をあたため、)(そして奪っていきました)